私が持つ「ニオイの共感覚」についてpart

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      ※今回の「ニオイの共感覚」という私自身の知覚現象については、以前から

     少しずつ記事を書いていましたが、なにぶんにも未知な現象のために文章

     にするのがとても難しく、気がつくとなんと2年半前に書き始めたものが

     今になってようやくまとまるという掲載の遅さに、あみんの「待つわ」で

     もさすがにもう待てないわ!涙を流しながら歌うほど、のろまな亀でさ

     えもとっくに着いたわ!と飽きられるどの、はなはだしい遅延っぷりを

     あらにししまいました(笑)。

     いまだに未解明な部分が多くありますが、現時点で判明したものについて

     記事にしましたので、どうか優しい目でお読みいただければと思います。

                    (* ̄∀ ̄)/  

     

     

    ◎なぜかニオイを感じることに気づき始める

    私がそのことに気づき始めたのは、記憶をさかのぼれば中学生の頃からだったように思います。

     

    特に何も変わらない、いたってごく普通の中学生だった私は、ただ1つだけ「そういえば……」と、自分の中でおかしなことがよく起こっているのを思い出しました。

     

    それは、「…何でいつもニオイがするんだろう?」ということです。それも毎日のように、時間や場所を問わず頻繁にニオイがするのです。

     

    そのニオイというものは、例えば学校の教室内に芳香剤が置いてあるというわけでもなく、女子たちが香水をつけていた、というものでもありません。

     

    仮に、芳香剤にしろ、女子が香水をつけていたにしろ、もしもそうならば私以外にも他の多くの生徒や先生までもが当然ながらそれに気がつくことになるでしょう。

     

    しかしそのような、その場にいる全員がわかるニオイというものではなく、どうやらそれは「私だけが感じているニオイ」らしい、ということに気がついたのが始まりでした。

     

    ※この内容については、すでにこちらの記事でも紹介していますので

     ご参考にどうぞ。

     

    ◎そのニオイは鼻から直接嗅いでいるわけではない

    この世界中に、一体どれだけの「ニオイの共感覚者」といわれる、稀な知覚現象を持つ者がいるのかはさっぱり見当もつきませんし、果たしてその者たちがみな、私とニオイの感じ方が全く同じなのかどうかもわかりませんが、私が感じたままのことを言えば、そのニオイというものは「鼻」から嗅いだものではなく、「鼻〜脳の奥」あたりで感じるニオイであると言えます。

     

    「えぇ…脳?」と、これをお読みになっている方には理解に苦しむことだと思われますが、鼻から脳の奥あたりにかけてニオイが発生しているものを知覚している、ということになります。

     

    脳の奥でニオイを感じる場合、その時の状況として顕著に現れるケースとしては次のような事例が挙げられます。

     

    自分の目の前に何か(もしくは誰か)を、

    〔椹襪杷Ъ韻靴疹豺隋併覲弌

    直接的に接触した場合(触覚)

    頭でふと思い描いた場合(想像)

    などによくニオイが発生します。

     

    さらに、これらのことで言えることは、

    通常は五感で物を感知・認識すればそれで済むものを、

    同時になぜか私の脳が、その認識した対象物とどの

    うな関連性があるのかは不明だが、ある種の独

    「ニオイ」を感じさせる物質を突然かつ動的に

    させ、二段階的にその存在を認識している

    という、そのまま読んだだけでは全く意味がわからないような理論が、実際に起こっている現象とも言えるのです。

     

    読者の声「…つまり、どういうことなの (・ω・)?

     

    はいはい、そう思われている方がきっと多いことだと思います。書いている私ですら、なんとかやっと、自分自身が感じていることに一番近くなるようにと、文字として表す努力をしております。

     

    もっと簡単に言いますと、

     

    嗅覚以外の4覚(視覚、聴覚、味覚、触覚)で物を

    知覚した時に、それと同時にさらに嗅覚でもニオイ

    感じる場合がある

     

    という(ある意味で二度おいしい?)ことなのです。

     

     

    ◎そこに存在しないはずのニオイを感じ取ってしまう

    ヒトがどのようにしてニオイを感じとるのか、という嗅覚のメカニズムについては、人体生理学の観点からその仕組みついて詳しい説明がなされていますので、下記のリンク先をご参照いただければと思います。

    (嗅覚 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

     

    簡単に言えば、ニオイの成分が鼻の中に入ると、鼻の中にある嗅細胞が反応してそれを電気信号に変え、脳に送られて認識するということになります。当然ながら、ニオイの成分が周りに存在しているからこそニオイを感知できる、ということが前提になります。

     

    ところが、これがニオイの共感覚となると、不思議なことに自分の周囲や空間にその物質または人物などが保有する特有のニオイの成分が存在していないにもかかわらず、ニオイを感じとってしまうという、人体のメカニズム上あり得ない、複雑怪奇な現象が起こってしまうこと自体が説明の仕様がない、ということなのです (TдT)ワカリマセン

     

    前記したように、嗅覚以外の4覚で物を知覚した場合に、さらにニオイというものがなぜ「共感覚」という特殊感覚として発生するのかについては、ある程度までの研究が進んで特徴的なものは判明できているものの、より詳しい原因や仕組みなどを明確に解明するまでには至っていない、というのが現状のようです。

     

     

    ◎自動的に発生 − 全ては脳のおもむくまま

    これまでの経験上、様々なニオイが幾度となく脳の奥を駆け巡るように犲動的に発生してきましたが、ただしどんな場合においても発生するというものではなく、ましてや自分では意図的にニオイを発生させることができませんので、完全に脳の自由奔放で気ままな判断にゆだねられています。

     

    また、ニオイが発生した対象が「人物」からであった場合、それらの数多くのほとんどが、その人の「体臭」のニオイではない、別のニオイであるということが、経験上で判明しています。

     

    これは、例えば何日もお風呂に入っていない人や、ハミガキをしていない人の口臭、ワキの汗など、そういった「うわ…くさい( ̄‥ ̄;)」と感じるような体臭のニオイではない、ということです。

     

    読者の声「え…じゃあ、何のニオイなの?」

     

    はい、基本的には日常生活の様々な場面で、だれもがそれを嗅いだことがあるであろうという、一般的に「あ、このニオイは〇〇だ!」と判別できるニオイが発生することが多いです。

     

    例えば、果物系(みかんやりんごなど)をはじめ、アロマ系(ラベンダーなど)、線香、インク、ジュース、ミルク、たばこ、化粧品等々その他もろもろ、身近にあるものなら種類を問わずなんでもニオイがするといっても過言ではありません。

     

    このように、そのニオイが何なのかを判明できる場合が多いのですが、しかしどんなに考えてもよくわからないニオイだったり、「甘いお菓子のようなものなんだけど…なんだろう?」という場合や、「何かが腐ったような…」など、不明確で特定できないものもよくある、とも言えます。

     

    ただし、ここまで頻繁にニオイが発生すると、日常生活において非常に煩わしさを感じたため、自己流ではありますがニオイの発生頻度を下げるような訓練(そこに意識を向けない)を数年に渡って重ねてきたところ、現在ではたまに発生するという程度におさえられています。

     

    とりあえずは、ここまでの内容を以下にまとめてみます。

    ニオイの共感覚は、周囲の人には感じない、自分だけが感じるニオイ

     が鼻〜脳の奥あたりにかけて、突然かつ自動的に発生する。

     

    嗅覚以外の4覚で対象物を知覚した場合に、その対象物とどのような

     関連性があるかは不明だが、併せて二段階的に嗅覚でもニオイを感じ

     る場合がある。

     

    ニオイの成分が周囲に存在していないにもかかわらず、ニオイを感じ

     取ってしまうという、通常の嗅覚のメカニズムでは考えにくい現象が

     起きている。

     

    日常的に身の回りにある様々な物のニオイが発生するが、それらは自

     分が意図してニオイを発生させることはできず、しかもどのタイミン

     グで自発生するかも全くわからないため、完全に脳の判断にゆだね

     られている。

     

    これまで数年に渡り、自分なりに発生頻度を抑える訓練を重ねてきた

     ところ、現在ではたまに発生する程度となった。

     

    今回のpart,任蓮△海譴泙任里いさつや私なりに感じたことについて内容をまとめてみましたが、次回は実際に日常生活でどのような状況下で発生したのか、その時の体験談についてご紹介していこうと思います。

     

    ※part△紡海

     


    記事をお読みいただきありがとうございます

    ニオイの共感覚で感じ取った高次元なるものpart

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      ※前回のあらすじ

      稲荷社の、何もないある特定の空間から「そこにいる」という何らかの存在を感じ取った私。その後の参拝では、投入の難しい賽銭箱へ見事にお賽銭を投じるのに成功し、早く新しい鳥居が完成しますようにと祈願をして神社を後にしたのだった。ニオイの共感覚を通じて、今回の出来事がのちの私に大きな影響を与えることとなったのである。

       

      自分の視野を広め、そして深めるきっかけとなる

      この神社の参拝で、目には見えない存在を肌で(いや、ニオイで)感じとったという体験が一つのきっかけとなり、それからよく「神と眷属の関係性」「人間から神になったご祭神」について考えを持つようになった。


      さらにこの考えを深める要素として、私はこれまでに精神世界系と類別されている、一種の特異的分野に属するとも言える著作物を多く読過してきたことにより、著者が独自に持つ哲学的および思想的訴要点の的確性は別にして、この分野の思想や概念、それに世界観について、自分の見識を広めるのに大いに役立ってきたと思っている。

       

      その中でも、とある女性コンタクティの方が執筆した本を数年前から書見しているが、その本の内容が斬新で、これまでの神仏信仰に対する人々の既成概念とはまた違った視点で表現されており、さらには実際に自分の実体験をもとにして考察・検証をされていることもまた、非常に共感が持てた点でもある。


      そんな折、私にとっては素朴な疑問が浮かんできた。

       

      私「神様の修行って、どんなことをするんだろう……」

       

      精神世界の構造概念上では、人間の死後、魂はいくつかの段階を経てから中間世と呼ばれる世界に行き、そこで高位の立場にある指導役と共に、次の人生をどのように送るかを計画するとされている。


      女性コンタクティの方によると、この計画をする際に、これまで通り再び人間として地上に生まれて必要な人生経験を積む道もあれば、魂の学びの段階に応じてではあるが、人間としての転生に幕を下ろし、代わりに神仏のもとに眷属となって修行に入る選択肢もあるという。そして、晴れて神の神格に到達して祀られるケースもあるのだという。

       

      この神仏の眷属修行について、私が普段からよく実践している内観で心に問うてみたところ、次のような言葉が心の中に浮かび上がってきた。

       

      心の声「その選択肢もある」

       

      やっぱりあるの?本当にそういう選択肢が…?


      どうやら神仏の眷属になるためには、死後に魂となった時点で、すでにご縁をいただいていた神仏から「君、ちょっと修行をやってみないか?」と、もちろん全ての魂ではないがスカウトをされる場合もあれば、自分からその神仏に仕えることを志願する場合とがあるという。

       

      心の声「ならば、神を見つける旅に出よ」

       

      旅に出ろと…!?

       

      私の人生行路は、むしろこれからが本番なのだということを噛みしめた出来事であった。

       


      記事をお読みいただきありがとうございます

      ニオイの共感覚で感じ取った高次元なるものpart

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        ※前回のあらすじ

        周囲を自然美に囲まれた、これまでにも何度も足を運んだことがある神社へとお詣りに出かけ、境内にある稲荷社の鳥居をくぐったところ、突然にしてあの現象が私の身に発生したのである。その現象とは一体…。

         

        ◎私が持つ「ニオイの共感覚」が自動発動する

        それは、鳥居から一歩先へ入った瞬間のことだった。まるで、私の脳を貫くかのように、突然にして強烈な「ニオイ」が、鼻からではなく脳の奥で発生したのである。

         

        脳の奥で(感覚的に鼻〜脳の奥あたりにかけて)ニオイが発生する(何らかのニオイを感じる)という、何とも理解しがたい表現になってしまうが、通常、鼻から嗅覚として感じるメカニズムとはまた違ったものであり、いわゆる「共感覚」という稀な知覚現象を指すものである。

         

        この現象が鳥居をくぐった際に、自分としては全く意図せずに自動的に発生し、稲荷社に向かって左側の何もない空間の、かつ特定の箇所からのみ、表現する言葉を選ぶのが難しい、ある種独特のニオイを感じるのである。

         

        私は俗にいう「みえる人」ではないため、姿や形はわからなかったが、たとえその物体がどんなに距離が離れている場所にあったとしても、私の脳が「ニオイ」という五感の一つに自動的に変換して対象物を感知する能力が中学生の頃から目覚めていたため、これまでの経験上から今回のニオイに対しても「ああ、これはそこにいらっしゃるな」とすぐに直感した。

         

        ※ただ、この能力が毎日自動的に発動してしまうと大変不便さを感じたため、

        あれから自分なりに能力を衰えさせようと意識したせいか、現在ではたまに

        この能力が発動する程度となった。


        それにこの稲荷社は、本社殿のすぐ脇という境内の神域内に建っているため、低級な波動をはなつものは立ち入ることができず、そのためこの存在についても不安を感じることはなかった。おそらくは、稲荷社を護る眷属の中の1体であろうと思いつつ、拝殿の前へと歩み寄ってみると、お社の中に賽銭箱があるのにふと気がついた。

         

        ◎お賽銭を入れるのが難しい賽銭箱

        賽銭箱は、閉められた格子状の扉の中にあり、さらにその扉から数十センチほど離れた奥に設置されていた。格子状の扉は手で開けられたのかもしれないが、しかし一般の参拝者がお社の扉を手で開けるなどという、規律には大変厳しいであろう、お稲荷様の眷属がいる前で、そのような失礼なことができるはずがない。


        しかも、「扉から数十センチ離れた場所」に賽銭箱があるというのがミソで、お賽銭は投げずにすべらせて入れるという、賽銭投入時のマナーを容易に実行することができず、格子状の間隙をうまく通過させ、かつ数十センチの距離感を把握しながら絶妙なアンダースローで見事にお賽銭を投げ入れなければならないという、非常に難易度のある、高度なテクニックが要求されるのである。


        このような、ある意味で「お稲荷様の試練」ともとれる状況を目の前にして、ちょっと面倒くさいからもうこのまま帰るか、などという失態をさらすわけにもいかない。


        ならば、いざ100円玉を手に持ち、軽く反動をつけながら投入してみたところ、案の定、格子状の扉にお金がぶつかって賽銭箱のすぐ手前で下に落ちてしまった。

         

        しかし、例え賽銭箱に入らずとも、結局は「お社の中の床に落ちる」仕組みになっており、お稲荷様側としては取りこぼしがなく、何という優れた構造形態になっているのかと、その回収システムに思わず感心してしまった(笑)。

         

        私「さすがお稲荷様、簡単には入れさせてくれませんね。よし、もう1回

          挑戦します!」

         

        お賽銭を何回で賽銭箱に投げ入れられるかを競うゲームではないのだが、次こそは入れようというチャレンジ精神が功を奏したのか、2回目で見事に賽銭箱に投入できた。

         

        心の中で「おぉ、入った」と軽く高揚しながら、ここでも特に自分のお願い事はせずに、日頃の感謝とあわせて早く新しい鳥居が完成しますようにと祈願をして神社を後にしたのだった。

         

        ※partへ続く

         


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