えんま堂の参拝を終え、次にそこから目と鼻の先にある「鑁阿寺」へと向かいました。
そもそも、今回の参拝旅行に行こうと思い立ったきっかけがこの鑁阿寺であり、ここを存分に見ずして帰るべからず、という思いを抱いてでここまでやってきたといっても過言ではありません。
なお、part1に過去記事のリンクを貼りつけておいたのでそれをご覧いただくとわかるように、以前にここを訪れた際に「このお寺……知っている!」と、今まで一度も見たことがない、ましてやそんなお寺がここにあることさえも知らなかった私が初めて鑁阿寺を見た時に、まるで過去世の記憶が突然よみがえったかのような衝撃が走ったのです。
あの時は全身の細胞が奮い立ちましたよ。なんだこのお寺は!?というほどに。
それほどまでに衝撃的な出来事だったので、もうこのお寺は私にとって運命の場所なのだろうと感じ、今回も過去の記憶がまたよみがえるのではないかという期待を込めての参拝となりました。
国宝 鑁阿寺-。名門足利家の息吹を今に伝える、おごそかで格式ある歴史的寺院の様子をお届けします。
1日目(2023.9.14)参拝箇所
・金剛山大日尊 国宝 鑁阿寺
・場 所 栃木県足利市家富町2220
・創 建 建久7年(1196)
・本 尊 大日如来
源姓2代目の足利義兼によって創建された真言宗大日派の本山。もともとは足利氏の館跡であり、その敷地は約4万平方メートルにも及ぶ。鎌倉時代から室町時代にかけて寺院として整備され、足利将軍家などにより氏寺として庇護された。2013年に本堂が国宝に指定。市民からは「だいにちさま」の愛称で知られる。
※縦サイズ(スマホ撮影)と横サイズ(デジカメ撮影)の2タイプの写真を掲載しています。
鑁阿寺の楼門前です。またここへ参拝に訪れることができて感無量です。
楼門と反り橋の説明です。両側には運慶作による鎌倉時代の仁王像があります。
反り橋の横に伸びる堀。ここですよここ、下記写真のように楼門に向かって左側の堀を見た時に「ずっと前にも(過去世でも?)ここで堀をながめていたことがある!」という不思議な記憶がよみがえってきたのです。
不思議な記憶はいったん胸の中にしまい、奥へと進んで行きましょう。
鑁阿寺の案内図です。
仏のパワーが満ち満ちているこの空間がたまりません。
本堂です。以前の参拝時に、この本堂がまるで透明な建物になったかのように、内部が透けて見えそうになりました。何だ今のは!?と非常に驚いたのを思い出します。
本堂の説明です。創建以来、火災に遭わずに当時の貴重な文化財が残っていることは奇跡的なことです。
本堂内部です。紫色の幕には足利家の家紋である二つ引き両が記されています。それと、賽銭箱の上にネコのぬいぐるみ?があることに気づき、ほんわかしました。
目玉がパッチリとしたおびんずる様です。自分の体の悪い部分と同じ箇所をなでると病気が治るといわれる仏様です。しかし感染症対策のためビニールがあり、残念ながら触れることはできませんでした。
本堂の横にある不動堂です。お不動様の真言を唱え、ご挨拶いたしました。
不動堂の説明です。かつては本堂と廊下でつながっていたそうです。
不動堂の横にある経堂です。朱色が映えます。
経堂の説明です。内部には一切経という経典が二千余巻も保管されています。これまでに建物は幾度か修繕が行われています。
多宝塔です。以前に訪れた際、この中をぜひとも見てみたい!という衝動にかられました。なぜそんな思いが急にわき起こったのか、いまだによくわかっていません。
多宝塔の説明です。その衝動にかられた原因は、もしかしたらこの中に収められているという足利家の大位牌が見てみたい!との思いからきたのではないか…と推察しているところです。
大銀杏です。ご神木ですね。
大銀杏の説明です。本堂の大日如来様を前に、ここの樹下で男女の見合いがなされていたなんて、考えただけでもどんだけ縁が結ばれちゃうんですかっていうほどうらやましいことですね。
鐘楼堂です。これも解体修理を重ね、今にその姿を残しています。
御朱印がこちら。参拝の記念として2種類いただきました。
参拝が終わったこの時点で夕方5時近くになっていました。本日の宿泊場所は、鑁阿寺の目の前にあるこちらのホテルわかさです。
夕食付きプランにすると、ホテルが指定した何軒かの食事処で使える1,000円分の食事券がもらえます。とりあえず和食がいいかと思い、鑁阿寺の横にある飛駒屋さんへ行って刺身定食をいただきました。居酒屋なのでメニューも豊富です。
店の前にある謎のマネキンが親切に駐車場の場所を案内してくれています。
今回の鑁阿寺の参拝では、以前にここで経験した衝撃的な不思議体験をもとに、私と足利氏との過去の関係性が少しでもわかるのではないかという期待をこめての参拝でしたが、結果的にはその核心をつくような解明には至らず、また心に衝撃が走るほどの不思議な体験というものも特になく、むしろ静かにゆっくりと鑁阿寺の雰囲気を楽しんだという内容でした。
そうではあるものの、もしかしたら私の心の中では、何らかの隠された本当の意味が、私自身にはわからない形できっと理解できたのではないかと思えるのです。
あの時の説明がつかない、懐かしさをも感じさせる体験は、まぎれもない事実として心のアルバムにしまっておき、そしてまたいつの日かここを訪れた時に、そのアルバムをそっと開いて昔の出来事を懐かしんでみたいとも思っています。
さて、明日の朝も早くから出発の予定です。晩御飯もおいしくいただきましたので、ゆっくりと休んで明日の参拝旅行へと備えることにします。おやすみなさい。
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