夢で見た「自分の人生の計画表」

私は普段からよく夢をみまして、それらの夢の中でも特に印象に残っているものを、【印象的な夢】のカテゴリーで紹介しています。

本来なら、今回の記事もそのカテゴリーに分類されるものなのですが、現時点では「私が過去(幼少期〜2017年まで)に体験した、謎や不思議な出来事をつづった不思議体験記からブログ用に改訂したもの」を転載しているカテゴリーでもあるので、その転載が全て終了してから、改めて【新・印象的な夢】などというようなカテゴリーをつくり、不思議体験記には記載のない2018年以降の出来事を掲載していきたいと思っています。

さて、皆さんは自分の人生を、生まれる前にどのように計画されてきたのか、覚えていらっしゃいますか?

唐突にこんなことを聞くと変に思われるかもしれませんが、この手の分野に詳しい方ならきっとご理解いただけることでしょう。

これまで多くの先人たちが語り継いできた魂の輪廻の法則をはじめ、魂学研究に携わる世界中の精神世界や死生観についての論者たちが、「人間は生まれて来る前に、人生のおおよその計画を立て、それに沿った人生が展開される」ということを語っています。

※ただ、ここからは私の見解ですが、基本的には多くの魂たちはこのように人生の計画を立ててきますが、それぞれの魂の学びや進化の状態に応じてその内容は変動し、場合により、人生の主幹的な出来事を除いた、それ以外のほとんどの部分を白紙状態のような形で生まれて来る魂もごく少数存在する、という考えに至っています。
その理由には、人間として生きるうえで、魂の自由度を現世で大いに体現するということが目的にあり、事前に計画の無い苦労や困難などに直面した場合にそれをどのように対処するかを求められる、進化傾向の強い魂が選び取る手段の1つであろうとも考えています。

そうすると、自分自身は一体どんな計画を立てて生まれて来たのだろうか…。そんなことを時折思ったりしたことはありますが、当然ながらそれについては全くわからないことでもありますし、むしろこれは「わからないようになっている」といった方がいいのかもしれません。

ところがですね……昨晩、まさにその人生の計画が書かれていた、一覧表のようなものが現れた夢をみたのです!

夢に現れた場面は、結構広い部屋の中に私がいました。周りはとてもきれいに整頓されており、部屋の空気感といいますか、部屋が醸し出しているオーラのようなものが「青色」の系統で包まれていました。

そして、私の目の前には誰かが1人いる気配がするのですが、顔を姿も見えません。ただ、その者が男性である、ということだけはなぜかわかりました。

その男性が、1枚の大きな紙(新聞紙を広げたよりももうちょっと大きめな感じ)を広げて、床に置きました。なんだろうと思ってそれをのぞき込んでみると、向かって左側から10代、20代、30代……と横に書かれており、その年代の縦の欄には、その時に経験・遭遇するであろう出来事が、非常に細かく書かれていたのです。

私「(うわ、これは自分の人生の計画表だ!)」と、直感的に思いました。

まずはさしあたって、今の自分の年代の欄に目をやると、「…あぁ、やっぱりあの時にそうなったことが書かれている…」と、夢の中の自分は少し落胆しています。たしかに数年前、自分としては苦しい状況に見舞われた出来事がありましたが、それがそのまま、その一覧表に書かれていたのです。

私「(この表は…つまり、ここに書かれている通りのことが起きるのか…)」

そして次に、これから先の年代にも目を向けてみましたが、なぜか目がかすんで見えません。いろいろな出来事が書かれているのですが、ハッキリと見えないのです。

しかしそれでも、なんとかしてぜひ見てみたい!と思った私は、これでもかというぐらいに目に力をこめてピントを合わせたところ、一部分がクッキリと見え、そこには「えー、ほんとに、そういう出来事が起きるの⁉それって結構ラッキーなんじゃない?」と思えるような、良い出来事が書かれていたのです。

こんな私のハングリー精神丸出し(笑)の様子を黙って見ていた目の前の男性は、少し微笑んでいるようにも思え、静かに見守ってくれている感じが伝わってきました。

と、ここで目が覚めました。

目が覚めてから、先ほど見た計画表の内容を改めて思い出そうとしましたが、なぜか…何が書かれていたのかを全く思い出すことができません。ラッキーと思える出来事とは何だったのか、それがどういう内容だったのか、わからなくなっていました。

まあ、夢の中では知ったとしても、現実の自分としては知る必要のない未来の出来事である、と言えるのでしょう。ゆえに、記憶から消え去った(あるいは消された)と思われます。

ただ、このことはあまり詳しくはお伝えできない内容になりますが、断片的に記憶にあるのは、今の自分の年代よりも、さらに数十年先の未来の年代が書かれていたことは覚えています。

それを考えると、まだ私自身には、やらなければならない使命が残されているのだなと思え、それに向かってこれからも進んで行こうと、前向きになれる気持ちがわき出してきました。

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