これは今から7年前のお正月、夕暮れ時の公園を散歩中に起こった出来事である。
この公園には広い芝生があり、私はそこの上を「ありがとう」と「よかった」という言葉を、夕暮れ時の空に向かってつぶやきながら歩いていた(お正月の夕暮れ時とあって、周囲には他にだれもいなかったが、しかし芝生の上を歩きながらこんなことを言っている者など普通はだれもいないが(笑))。
かなり暗くなってきたのでそろそろ帰ろうと思い、駐車場へ向かおうと歩き始めたその時だった。
上空にはさっきまで筋状の雲だったものがいつの間にか形を変え、なんと大きな龍の顔になっているではないか!
その龍の両目の部分のところには、偶然にもキラキラと輝く星ものぞきこむことができ、まるで私を見つめているようだった。これにはさすがに私も「…え⁉りゅ、りゅうだー!」と声を出して驚き、後ずさりしてしまったほどだった。
とっさに、ポケットに入れていた携帯電話を取り出し、この龍雲を携帯のカメラで撮影しようと思いついたのだが、その瞬間、頭の中に「それでは撮影できない」という言葉がインスピレーションで入ってきた。
この時なぜか私は「なるほど、そうか」と、先ほどの驚きがどこにいったのかというほど冷静になっており、そのインスピレーションを受け入れることができた。
その時に瞬時に判断できたことは、私が持っている携帯電話のカメラは型が古く、いわゆる「ガラケー」タイプなので高機能ではないこと。そして周囲はかなり暗くなってきていることもあり、フラッシュ機能も無く解像度も低い、などの点から、カメラが被写体を認識することができないことが理由なのだ、と瞬時に理解することができていた。
さらに、その龍から続けてインスピレーションが届いた。
それは「お前はいま、何を望むか?」というものだった。その質問に対し、私は「この世界に名前を残せるような、この地球を救うような立派な人間になりたい」と心の中で返事をした。
(しかし今思い返してみても、あの状況下で「よくそんなことが言えたな〜」と、自分の大胆な発言に思わず恥ずかしくなってしまうが、ある意味ではその発言に感心しつつも、そんなことを言って本当に良かったのか悪かったのかわからない思いもこみあげてくる)
しばらくすると、その龍雲は自然に消えていったが、その大胆な発言に、龍雲もどこか驚いた様子だったのかもしれない(笑)。
【補足】
当ブログの「PhotoGallery」のカテゴリーの中で、これまでにいくつかの「龍のように見える雲」として写真を掲載してきましたが、それらをはるかに凌駕するほどの、大迫力で威厳をも感じさせる、まさに伝説上の龍の顔が大きな雲となって上空に現れた、という出来事でした。
この龍雲が現れた公園は、家からも近くてよく散歩に出かける場所で、とても広い芝生があります。遊歩道も整備されて歩きやすく、公園の周囲には田んぼがあり、これがまたのどかな風情を感じさせ、とてもリラックスできるので気に入っています。
そんなお気に入りの公園へ、お正月中ではありましたが、いつものように散歩に出かけました。
夕暮れ時の空を見上げながら広い芝生の上を歩いていると、心の中から自然に「ありがとう」という言葉がわき起こり、それに続いて私が日頃から自分に対して安心感や自信が持てるよう、自己暗示的なものとして唱えている「良かった」という言葉も併せて出てきたため、これらの言葉を空に向かって交互につぶやいていました。
その後、かなり暗くなってきたので帰ろうかと思い、駐車場へ向かおうとして振り向いたその時です。
私「…え⁉りゅ、りゅうだー!」
少し前までは特に変わった様子は何も無かった上空の筋状の雲が、いつの間にか形を変え、まさに?龍の顔?そのものとなって浮かんでいたのです!
さらに驚いたことは、龍の両目の部分にあたるところにちょうどキラキラと輝く星があり、まさに「目」そのものでした。
とっさにポケットから携帯電話を取り出し、撮影を試みようとしましたが、その瞬間に「それでは撮影できない」というインスピレーションが入ってきました。私の携帯電話のカメラでは性能が低いうえに、周囲が暗くて撮影には適さないことを、龍雲が一瞬にして教えてくれたのです。
この一瞬にして訪れる「ひらめき」について、身近なものに例えて言うならば、まるで「電子メール」のようなものに近いなぁ、と私は思っています。
メールは端末を通じて届きますが、それを開いてみると、簡単な短文の場合もあれば、何百字以上にも及んで詳しく書かれたもの、そして写真や文書などが添付してあったりと、状況に応じて様々ですが、送信者が伝えたいことがまとまっています。
それらは、当然ながら「端末が受信するまで」は、どんな内容のものが送られてきたのかはわかりませんが、開いてみればすぐに内容を確認することができます。インスピレーションにおいても、いつ、いかなる時に、インスピレーションが届くかは全くわかりませんが、「届いた瞬間」に、相手が私に何を伝えたいのかが、一瞬にしてわかります。
私が龍雲からインスピレーションを受けた「それでは撮影できない」というものの中には、同時に、かつ一瞬にして、なぜ撮影できないのかという理由についても含まれていました。
そのため、「撮影できないって言われてもさ、じゃあ何で撮影できないの?」などという、人間の脳の特性である疑問を知りたい・答えを見つけたいという考えが頭の中に浮かぶことは一切ありませんでした。とても冷静に、内容が理解できる形でインスピレーションを受け入れることができたのです。
そして、次に龍雲からは、「お前はいま、何を望むか?」と問われました(心の中にこの言葉が入ってきました)。
それに対する私の答えは、「この世界に名前を残せるような…」と、ええと、あの〜、これについては思い返すだけで非常に恥ずかしくなってくるのでこれ以上は書きませんが(笑)、今までこのようなことは一度も言ったことなどないのに、なぜかこの時は自然と口から出てきたのです。
実は私自身、あまり目立つことは好きではない地道に物事をこなすタイプであり、心臓に毛など生えていないはずなのになぜあのような大胆な発言を…。ある意味で、度胸があると言えるのか何なのか、広い芝生の上で一人で空に向かってこんなことを言い放った自分が心底おそるべし、と思っている今日この頃です。
それを聞いた龍雲は、きっとあっけにとられたことでしょう。それ以上は何も語ることはなく、「おいおい、ちょっと、それ本気で言ってるの?」と言ったか言わないかは定かではありませんが、ゆっくりと消え去ったのでした。
この大胆な言葉が、これからの私の人生の中で、果たしてどのように展開されていくのか…ということは当然ながら全くわかりませんが、おそらくは何の影響も無いことでしょう。なぜなら、このことについて現在では何も期待感を持っておらず、ほとんど興味すらわかないからです。
そんなわけで、これからも地道に、なおかつひっそりと、このブログにおいて私の不思議な体験談をご紹介していきたいと思いますので、ご興味のある方はまたぜひお越しくださいませ。
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