老人「ほほ、お若いの、また会ったのぉ」
セミの鳴き声がこだまする快晴の夏、心も体もだいぶ元気を取り戻してきた雅紀は再び神社を訪れていた。こんなにも暑苦しいほどの日に、家にこもっていては逆に病気になりそうだったので、気分転換もかねて出かけたのだ。
雅紀「あ、おじいさん、お久しぶりです…あれ、今日は犬はいないんですね」
老人「ほほ、あいつは今日は留守番じゃよ(笑)」
深い顔のシワがより一層目立つほどニッコリと笑う、いつもと変わらぬやさしい古老の姿がそこにあった。
老人「ところでおぬし、いつもブツブツと何か独り言のようなものを神様
にお願いしとるようじゃが、どんな願い事を言っておるんじゃ?」
雅紀「あ、いえ、特にお願い事はしていなくて、今日もここへ来させてい
ただいてありがとうございますと、お礼を言ってるんです。しかし
おじいさん、ぼくのことよく見てますね」
古老の観察眼にも驚いたが、そう言えば自分は、いつもお礼参りのように感謝を口にしているときが多いな、ということにも気がついた。
老人「まあ、お礼もよいが、何か願い事を言うのも別に悪いわけではない
んじゃぞ」
雅紀「ええ、これと言って特に願い事があまりないので・・・」
老人「何とも欲が無いやつじゃのぉ。人の願いを聞いて、その願いを叶え
ることも、神としての大事なお役目の一つなんじゃよ」
雅紀「へぇ〜、そうなんですね。じゃあ今度は何かお願い事をするように
しますね」
雅紀がそう言うと、古老は長年務めている世話人の仕事で得た豊富な知識をもとに、まるで孫にでも教えるかのように「小ばなし」をはじめた。
老人「神にも得意不得意があっての、願い事を言えば必ず叶うというわけ
ではないんじゃ。商売繁盛の神さんに、恋愛成就の願掛けをしても、
全く無理とは言わんが、お取り計らいは難しい場合があるかもの」
雅紀「なるほど。例えば国語の先生の所へ数学の勉強を教わりに行っても、
全くわからないわけではないけども、やっぱり専門にしている先生
の所へ行った方がわかりやすいっていう感じですかね」
老人「・・・何とも現代的な例えじゃのぉ。まあ、そうとも言えるかもし
れんな。まずは、自分の心にその神さんを思い浮かべて念じてみる
ことじゃ。すると、お神さんの方からおぬしに寄り添ってくれるん
じゃぞい」
雅紀「神様の方から・・・ですか?」
老人「そうじゃ。人の目には見えんが、しっかりと側についておられるぞ。
それに、お神さんは「かんせい」じゃないからの。いわゆる全知全
能という神さんと、神社にいる神さんとは同類性否じゃからの」
古老の話の内容には首をかしげるばかりだったが、雅紀が話を聞き返す隙すら与えない流暢な話に、あたかも全部が理解できたかのような気分にさせられてしまった。
老人「まあ、お前さんの心持ちがどんなものか、鳥居をくぐったときには
すでに神さんはわかっておるがのぉ(笑)」
長年にわたり、世話人の仕事を務められている古老ならではの、神様という人間を超越した存在の解釈の仕方であり、それと同時に畏敬の念も込められた独特の表現方法なのだろうと雅紀はそう理解した。
老人「お、そうそう、お供えものは、酒がいいのぉ」
ペロリと舌鼓を打つしぐさを見せた古老は、どことなくうれしそうな、それでいて何かを楽しみに待っている子供のような無邪気な表情を見せながら、神社の裏手に続く細道へと歩いて行った。
そんな、これから三度目の出会いが実はもう間近に訪れようとは知るはずもない、とある真夏の日の出来事だった。
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