高野山無量光院の「施餓鬼供養」

施餓鬼供養で先祖供養

高野山の準別格本山「無量光院」では、これまで節分の時期に行われる「星祭り祈祷」を何度かお願いしており、今年の節分にも申し込みをしています。

その時の記事はこちらです。

私にとって、星祭りのご祈祷は「一年の無事や開運を祈る場所」という意味を込め、ネットでご祈祷をお願いしていました。

その無量光院では、例年お盆の時期に盂蘭盆施餓鬼供養(うらぼん・せがきくよう)が行われるということを知り、ご先祖様や亡くなった方々への供養になればとの思いから施餓鬼供養をお願いすることにしました。

 

「餓鬼道」の者たちに施しを行う

施餓鬼供養とは、仏教で行われる供養のひとつです。

「餓鬼」とは、飢えや渇きに苦しむ「餓鬼道」の世界にいる存在を指します。そうした餓鬼や供養する人のいない無縁の霊などに飲食物を施し、苦しみから脱することができるよう願います。このことから、餓鬼に施しを行う=施餓鬼といわれています。

また、その功徳を自分たちのご先祖様や亡くなった方々にも捧げ、冥福や成仏を祈ります。

お盆の時期には読経とともに施餓鬼法要が営まれ、供物をお供えしたり塔婆を立てたりして供養を行う寺院が多いです。

お盆というと、私たちにとっては「ご先祖様をお迎えする時期」というイメージの方が強い印象です。

その時期に施餓鬼供養を合わせるのは、一説によると地獄の窯のフタが開いて亡者がこの世に降りてくるお盆にやれば、「災いをもたらす鬼を鎮めて自らの徳も積める」といわれているそうです。

ただし、本来は「供養」そのものが目的ですので、お盆という特定の時期に限らずいつでも執り行って構わないともいわれています。

 

施餓鬼供養に申し込み

施餓鬼供養を知ったのは、無量光院からの案内封書がきっかけでした。施餓鬼供養とあわせ、ちょうどお盆の時期と重なってご先祖様の供養にもいいと思い、申し込みをしました。

申し込みにあたっての祈祷料は示されていなかったため、自分なりの気持ちとしてお布施を納めました(同封されていた振込用紙にて支払います)。

供養というものは、金額の大小ではなく、手を合わせ、亡くなった方々へ思いをはせることに大切な意味があるのだと思います。

日々の生活の中では、目の前の仕事や予定に追われてしまい、ご先祖様の存在についてゆっくり考える時間がどうしても少なくなりがちです。

そのため、お盆という節目にこうした機会を持つことが大切であると感じています。

 

後日、無量光院から届いたもの

施餓鬼供養が終了後、無量光院から高野霊香(お線香)と領標(お布施を納めた領収書)が届きました。

 

この霊香は星祭り護符を申し込んだ際にも届けられたことがあります。火をつけると幽玄な香りがあたりを包み込みます。これが高野の香りなんですね。きっとご先祖さまも喜んでくれるでしょう。

実際に届いたものを手にした時、「きちんと供養が届いたのだな」と実感することができました。

 

自分たちにできる形で供養を続けたい

私たちが今ここにいるのは、多くのご先祖様から命がつながってきたからにほかなりません。

普段の日常でご先祖様を意識する機会が少ない中、お盆や彼岸、法要などでお墓参りや仏壇に手を合わせることは、特別に大きな何かをすることではなく、それぞれが無理のない形で供養をしていることにつながっていくのだと思います。

今回の施餓鬼供養を通じ、ご先祖様との向き合い方が少し広がったようにも感じます。

これからも私たちにできる形で供養を続けていきたいと思います。

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