いにしえの時代に
はるかなる彼方の地で
その内なる魂に智慧の葉を宿した者たちよ
すでに今は
忘却の輪廻に取り込まれて
それに微塵も気がつかぬ眠れる魂となっていよう
そうであったとしても
大いなる源流にある魂源は
いつ幾年の歳月を経ようとも
宿した智慧の葉とともに大海を揺らぎながら
忘却の輪廻に取り込まれることなく
魂の礎を築いていくことだろう
かつて、彼はこう言った。
「宇宙(そら)の愛を享受する私のおさな子たちよ
青き星に身をおきても忘れることなかれ
おのおのが
苦身にもがき
痛身に苛まれ
禍身に晒されようとも
唯一の魂源たる愛の親は
銀河の星々と共に
全ての尊き子供たちを
その身に強く抱きしめることだろう」と。
与えられし愛とは
補填でもなければ過剰でもない
その神意は
内なる魂に宿りし智慧の葉に
すでに深く刻まれていることだろう
おまえがそこに「在る」という存在自体が
すでに望まれている証拠であり
自らが望んだ証拠でもあり
かつ与えられている行為そのものなのである
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