【講演会2】大森和代さん−WATARASE− part2

※前回のあらすじ
スピリチュアルカウンセラーの大森和代さんの講演会当日、予想外の体調不良に見舞われてしまったのでキャンセルしようかと迷ったが、なぜかどうしても行きたい気持ちもあったため、かなり無理をしたが会場へと向かうことにした。体が重くて歩くのもしんどく、かなり険しい道のりと感じたが、何とか会場に無事到着。そしていよいよ待ちに待った講演会がスタートしたのだが…そこで奇妙なことが待ち受けていたのであった。

◎奇妙な現象が発生
講演の内容は、「奇跡の講演会」と銘打った日像さんのトークがメインであり、その中で神から授かった言葉を我々に伝える役目が大森さんといった印象を受けた。

奇妙な現象が起こったのは、そのトークの最中だった。

私の座席は会場の中ほどにあり、すぐ横が通路になっていて壇上の2人の席までまっすぐに通じていた。初めは気にならなかったのだが、まるでその通路をだれかが通っているかのように、私の横を風がスーッと吹き抜ける。またしばらくするとスーッと…。

もちろん誰も通ってはいない。講演中に席を立つ者も誰もいない。天井のエアコンか?と思って風の軌道を眺めていたが、そうでもない。

この現象は一体何なんだ?と思いながら講演を聴いていると、大森さんが「今日は、震災で亡くなられた方々が、この会場にも大勢やってきています。多くの方が来ています。でも安心してください。皆さんには何の影響もありませんから」と言うではないか。私は霊を見ることはできないのでわからなかったが、まさかあの風は、霊が私の横を通った風だったのか?しかし、全く恐怖を感じることもなかった。本当に何だったのだろうか。今でも謎である。

◎突然、神からのメッセージ。気がつくと体調が回復
そして大森さんが突然、このように語り出した。

「……みなさん、いま、メッセージが届きました。
 今日の予定にはありませんでしたが、これから
 特別に霊を切ります」と。

会場が一瞬ざわめいた。私は何のことだかわからない。知る人ぞ知ることのようだが、霊を切る?…つまり除霊ということなのだろうか?

話によると、この「霊を切る」という意味は、自分に憑いている悪い霊をはじめ、身近にいる地縛霊や浮遊霊などを、高次元の偉大なるエネルギーによってその御霊を成仏させるというものだった。しかも霊を切るのは、神からのメッセージが届いた時のみだけであり、全ての講演会で行われるとは限らないため、参加しても「切ってもらえなかった」ということがあるのだという。参加者たちは、この「霊を切ってもらう」ということも、講演会に参加する大きな目的の1つなのである。

今回の福島講演で、突然のメッセージにより、予定になかった「霊を切る」ことをやってもらえるとは思いもしなかった。会場がざわつくわけである。そして、参加者全員が特別に霊を切ってもらっている間、なぜか会場内の空気がとても清々しく感じられた。

さらに気がついてみると、あれほど最悪の体調だったのが嘘のように何ともないではないか!体の重さも、胃痛、胸やけ、吐き気まで、すでにこの時には全く無くなっていたのだった。

◎次元の違う存在はその日に何が起こるか知っている⁉
この「霊を切る」ことについて、後日ふと思い浮かんだことがあるのだが、普段ではあれほどひどく体調を崩すことはあまりない私が、確かに寝不足などの要因もあったが、あの日に限ってかなりひどい体調不良だったことを考えると、例えば成仏できない霊的な存在たちがいたとして、私がこの日に講演会に行くことをこの霊たちが事前に知っており、しかも「霊を切ってもらう」(成仏させてもらう)ことになる、ということまでも知っており、講演会当日にこの霊たちが私の体に取り憑いて、一緒に会場まで来たのではないか?などと思えたのである。

というのも、体調不良と重なって、家から駅まで歩いていく最中に狙い撃ちするかのような突然の土砂降りに見舞われたが、実はある意味で、この雨には「禊(みそぎ)」の意味があり、この時点ですでに私の体に憑いていた霊たちを浄化するために、私をサポートしてくださっている存在が雨を降らせたのではないのか…という1つの見方が思いついたからである。

しかしそれでも浄化しきれず、あまりの苦痛に講演会をキャンセルしようとまで考えたが、それでもなぜか行きたいという思いがあったのは、もしかしたらその霊たちが「何とか講演会場まで連れて行ってくれ〜」という懇願を私に向けて発しており、それを私の心が(魂が)察知していたことにより、無理をしてでも何とか参加しようという思いがわき起こったのかもしれない。

そして講演中に霊を切ってもらったことにより、気がつくと体調が悪化するどころか、嘘のように回復したという理由も、日像さんと大森さんの波動によって私の体から霊たちが成仏していったために楽になったのではないだろうか。

果たしてどんな関係があったのかはわからないことだが、何にせよ、体調不良で途中退席とならずに済んだだけ良かったことである。

◎名前のアナグラムにあったあの言葉がここでも…
こうして、約4時間ほどの講演会が終了した。会場の後方には、無料の飲料水コーナーが設けられており、1本のミネラルウォーターを手にとってみると、そこには「熊野古道水」と書かれていた。その名はどこかで聞いたことはあるが、あまり詳しく知らなかったため調べてみると、熊野古道とは熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へと通じる参詣道の総称であり、別名「蟻の熊野詣」と例えられるほど、人々が引きも切らさず参拝したことが伝えられているという。

また、「全ての道は熊野本宮に通ずる」とも言われており、参詣道として代表的なものが紀伊半島を西回りする「紀伊路」と、東回りの「伊勢路」である。

紀伊路は、平安中期から鎌倉期にかけて行われた法皇や上皇らの御幸ルートであり、道筋には熊野権現の末社として九十九王子社が祀られていた。一方、江戸時代以降に盛んに歩かれるようになった伊勢路は、伊勢参宮を終えた旅人や、西国三十三カ所めぐりの巡礼者が辿った道である。

なお、「紀伊山地の霊場と参詣道」として平成16年に世界遺産に登録されている。

そういえば、自分の名前のアナグラム(その記事はこちら)の中にも、「熊野」に関する語句が成り立っていたな!と思い、1本のミネラルウォーターからシンクロ現象が起きようとは思いもよらなかった。もしかしたらこの熊野という地も、自分にとって何か意味するものがあるのかもしれない。

さて話は戻って、講演終了後の壇上前では日像さんが参加者の体に高次元のパワーを送り、その横では大森さんの握手会、さらには最新刊の自著本にサインをして、それを1人1冊ずつプレゼントしてくれたのだ。

特に大森さんの握手会では、念のために持ってきていたサイン色紙(こういう準備は大変よろしい)にあつかましくもサインをお願いしたところ、こころよく了解して下さり、大変記念になる1枚を手にすることができた。どうやら自著本にサインをもらったうえ、さらに色紙を差し出してサインをお願いするという要領のいい者は、私1人だけだったようだ(笑)。これも、正観流人生論で身に付けた大きな功績の1つだろうと、今では勝手な解釈をしている。

大森さんに書いていただいたサインがこちら。

正観さんの講演会に続き、日像さん、そして大森さんの講演の内容は、これまでの私の人生観や霊的な観点に対して、とても大きな衝撃を与えていただいたと同時に、自分としても未知の分野に気がつくことができたということに深く感謝したい。

これからも、私自身の探求心をより一層深めて、自分磨きに精進していきたいと思った。

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