今年の8月、親戚のおばあちゃんがお亡くなりになりました。享年106歳の大往生をとげられました。
親戚の家までは車でおよそ30分ほどで、私と同い年の男の子もいることから、子供の頃からよく遊びに行っていました。いつも行くたびに、そのおばあちゃんがお小遣いをくれるので、それが一番うれしかったのを思い出します。
おばあちゃんはいつも明るく、声が大きくて、これといって今まで病気をしたという話は聞かないほど元気でしたが、だんだんと耳が遠くなってきて大きめの声での会話が必要となり、さらにここ数年前からはほとんどがベッドの上の生活だったそうです。
とはいえ、この年齢で介護を受けていないというのが驚きのことで、私たち親戚の者が家に来ると、ベッドから自分で起き上がって茶の間まで歩いてきて、ニコッと笑顔を見せてくれるのでした。
そんなおばあちゃんの、突然の訃報・・・。私は仕事を早退し、家族を車に乗せておばあちゃん家に向かいました。
家に着くと、そこにはとてもお顔がきれいで、まるで私たちに「来てくっちゃのがぃ、ありがとなぃ※訳 来てくれたんだね、ありがとう」とでも語りかけてくるかのように、安らかな表情をしたおばあちゃんが静かに眠っていました。
それからすぐに葬儀屋さんが駆け付け、おばあちゃんに白装束を着せて布団に寝かせたり、線香台を準備したり、神棚封じと言って神棚の扉を閉めて表に白い紙をかぶせたりと、諸々の準備に取り掛かり始めました。私たちも何かできるものがあればと、座敷の掃除や荷物の整理などをお手伝いしました。
ここで1つ、神棚封じについて「へえ~そうなんだ」という出来事がありましたのでご紹介します。
これは、地域の慣習や宗派などによって違いがあるかもしれませんし、必ずこの通りにやるというものでもないと思います。
親戚の地域の慣習としては、神棚に白い紙などを貼る神棚封じは、その紙を貼った者が49日の法要が終わった後にも再びはがす、ということでした。
実は葬儀屋さんが来る前に、親戚の方が「白い紙を神棚に貼ってくれないかい?」と私に言ってきたので、もちろんいいですよ~と脚立を持ってきて貼ろうとした時に、「あ、この紙を貼った人が、49日終わってからもはがすんだよ」と言われ、「え、ちょっと待ってください。その時にちょうどここに来られるかどうかわからないんで・・・」ということになり、それじゃ葬儀屋さんにやってもらおう、となったのでした。
ここで少し疑問に思ったのは、「他人が貼るのではなくて、その家族の人が貼ればいいのでは?」ということでしたが、詳しいことは聞けずじまいだったので調べてみると、どうやら故人と関係が深い家族は、すでに心身共に穢れ(気枯れ)の状態であり、神様に死の穢れが及ばないように家族以外の者が貼るのがふさわしい、ということが書かれていました。
なるほど、そういう意味合いが含まれていたんですね。そのため、親戚の方も自分たちが貼るのではなくて誰かに貼ってもらおうとしていた、ということがわかりました。
お葬式は、おばあちゃんの娘さんたちや孫たちのほとんどが県外在住で、現在のコロナ禍によって帰省するのが困難な状況のため、近隣に住む親戚たちが集まって少人数で執り行われました。
その後の49日の法要も、同じくコロナの影響で少人数で行われました。法要の後、お坊さんからの「法話」をお聴きするのが習わしとなっており、まずはお坊さんのご挨拶と自己紹介、そしてお寺の宗派の成り立ちなどについてお話をされました。
ここで、親戚の家は天台宗の檀家であることがわかりました。
親戚がどこの宗派であろうと檀家であろうとも、特にこちらとしては何ら問題はありませんので、気にすることもなくお坊さんの法話を聴いていたところ、実はその内容に「自分と関連するものがある!」とでも言うがごとく、ちょっと驚くお話がいくつかあったのです。
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