米山寺経塚群(国指定史跡)と米山寺跡

以前にも訪れたことがある福島県須賀川市の米山寺経塚群べいさんじきょうづかぐんと、そこに隣接する「米山寺跡」に散歩がてら行ってきました。

現在では米山寺公園としても整備されており、緑も多く、敷地にある池では釣り人も見られるのどかな場所です。

実は、あの~、以前もそうだったんですが、経塚群に行ってきました・・・と言いますか、その一か所を実際に見てきたことに間違いはないのですが、この土地が放つ独特の気が結構強めに感じてしまったため、写真撮影はやめることにしました・・・。(・д・`;)ゴメンナサイ

そんなわけで、今回写真を掲載するのは米山寺跡の方にさせていただきますが、ちょっとその前にこの経塚群がどんなところなのかを下記に簡単にご紹介いたします。

 

陶製の外筒に入った貴重な経典が出土

経塚群と名前があるように、今から850年ほど前の平安時代後期である承安元年(1171年)の銘が入った筒が数基、出土しました。

そもそも経塚とは、当時の末法思想が広がる世の中において、仏法書の保存のために経典や経文を書いたものを陶製または銅製などの筒に入れ、後世の人々に伝え残すために土の中に埋めた場所を言います。

その背景には、釈迦が入滅した後の56億7000万年後に弥勒菩薩が現れて、人々を救うための説法を行う際に備えて経典を残そうという、弥勒思想によるものがあったそうです。

発掘資料などを調べてみると、経塚というものは偶然の機会で発見されることが多いそうで、米山寺経塚群もその例外ではなく、明治17年にここの敷地にある日枝神社の社殿改修を行った際に、1・2・3号経塚が発見され、さらに昭和51年の発掘調査では丘陵に5基、最終的には計10基の発見に至っています。

出土した陶器には、「米山寺」の銘や、「藤原貞清」、「圓珍」など施主4名、僧侶2名の名前が見て取れるとのことです。かつての先人たちが、後世につづく人々のためにありがたい経典を残してくれた、というその想いが伝わってきます。

実は前回、米山寺跡を訪れた時にちょっと不思議な感覚にさいなまれましたので、その場所もあわせてご紹介いたします。

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気持ちのいい秋晴れの日に出かけました。

 

位置図はこのようになっています。

 

池には釣り人が数人いました。

 

ここが仏堂跡です。

 

この段々とした植栽がいい形をしています。

 

仏堂跡の横にあるのが薬師堂です。先述した「不思議な感覚にさいなまれた」というのがこの場所で、中央にある薬師堂の碑のそばまで行った時に、私のニオイの共感覚が突然発動して、いわゆる「仏のニオイ」がただよってきました。仏のニオイって何?って感じですが、お寺に行くと線香などの独特なニオイがしますよね。まさにあのニオイがしたのです。いまだに、この土地には仏の想いが眠っているのです。

 

薬師堂の上にあるのが倉庫跡です。

 

さらに薬師堂の横にあるのがくりや跡です。厨房、台所ですね。

 

仏堂跡と薬師堂の上にあるこの場所。位置図では何も書かれていない空地のようになっていますが、仏様の上部につくられた土地だけあって、私はこのエリアから非常に強いパワーを感じるのです。本当にここには何も無かったのかな。でも、地面にはしっかりと石組があって四角に囲われているので、きっと何かがあった(または祭事や祈祷をした)のではないかと思っています。

 

さて、厨跡から少し上に行ったところに日枝神社があります。

 

日枝神社の横にある藪の中に、1号経塚などの計6基があります。

 

そしてこちらの民家の横にある林の中には、他の計4基があります。

緑が広がるさわやかな公園の中に、経塚群やお寺の跡、そして神社までもがあるという、宗教的意味合いの強い複合エリアであり、かつその土地には、何百年経とうとも先人たちの想いがいまだに生きていることを感じました。

神や仏に対する、当時の人々の厚い信仰心にはとても胸が打たれました。 )

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