【不思議体験記6】なぜかきまって涙が出そうになる

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    小学生から中学生ぐらいにかけて、夜空に浮かぶ星空を見上げるだけで、いつも体全体がジーンとし、なぜか涙が出そうになっていた。

     

    言葉では言い表せないような懐かしい感覚があり、いつも泣きそうになる寸前まで空を見上げていた記憶がある。

     

    高校生になるころには、この現象はほとんど無くなったが、一体なぜこうなっていたかは今でも理由はわからず、謎めいた現象の一つだった。

     

     

    【補足】

    今思い返してみても、これも説明がつかない現象の一つでした。

     

    もともと星空を眺めることは好きな方でしたが、闇夜という静寂の中に包まれた、輝く無数の星々その一つ一つが、まるで私を見つめているかのような錯覚さえ覚え、いつも胸のあたりにジーンとくるものがありました。

     

    泣きそうになる寸前まで星空を見上げていましたが、もしもそのまま見続けていたら、きっと私は涙が止まらないほど号泣していたかもしれませんき

     

    現在ではここまでジーンとすることは無くなりましたが、今でも相変わらず星空を見上げることはとても好きです。

     

    もしかしたら、

     

    かつて私は遠い昔に、

     

    どこかの地で、

     

    星々に祈りを捧げていた時代があったような・・・

     

    そんなふうに、ふと思いが馳せました。

     


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    【不思議体験記5】人の心の状態をニオイとして感じる

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      主に中学生のころによくあったことだが、相手を見ていたり話をしている時や、突然その人のことが頭に思い浮かんだりした時などに、その人の「ニオイ」を感じることがあった。

       

      ただ、ニオイと言っても「体臭」の方ではなく、爐修凌佑凌瓦両態ともいうべきニオイである。

       

      例えば、素直で明るい人と接すると、やさしくやわらかい波動のようなもの(この場合は特にニオイが無い場合があった)が伝わってくるのだが、イライラしていたり怒っていたりする人と会った時は、非常にきついニオイ(表現が難しいが、何かが腐ったようなニオイに近いものだが、一体何が腐ったものなのかは特定することができない)が自分の心に伝わってきた。

       

      一時期は、そういったマイナス的な感情を抱いている人の近くにいるだけでも嫌気がさすほどだったことがある。

       

      ただ、このことが果たして本当に心の状態を判別できたのかは未解明なことではあるが、自分なりにいつも不思議な感覚だなと思いつつ日常生活を送っていた。

       

      現在ではここまで敏感ではなくなったが、ときどき感じることがある。

       

       

      【補足】

      みなさんは「共感覚」という言葉をご存知ですか?

       

      共感覚とは、ある一つの物事や刺激に対して、視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚という五感が何らかの理由でつながって感じられ、通常の感覚とは別にさらに異なる種類の感覚をも生じさせる、特殊な知覚現象のことを言います。

       

      例えば、アルファベットのAを見た時に、通常ならば黒い字で書かれたAが、共感覚を持つ人には赤い色がついているように見えたり、音という聴覚で認識するものに、なぜか味覚を感じるなど、いくつかの種類があります。

       

      私自身、共感覚という言葉があることを知ったのはごく最近のことであり、文字に色がついて見える人を紹介していたテレビ番組を観て、始めてこのことを知りました。

       

      私「へぇ〜、世の中にはこういう特殊な能力を持っている人がいるんだな〜」

       

      と思いつつテレビを観ていると、色がついて見えるばかりではなく、「ニオイ」を感じることも共感覚の中の一つであるということを知り、

       

      私「何だって・・・⁉ニオイもそうなの?あ、じゃあ、自分にもある!」

       

      となったわけです(笑)。

       

      ※「ニオイ」と表記している理由は、

      匂い→いいにおい、いい香りなどの時もあれば、

      臭い→嫌なにおいなどの意味のどちらの場合でも感じることがあり、またある時には何とも表現のしようがない、特定するのが難しい場合もあるため、ここではあえてニオイとカタカナ表記にしています。

       

      このニオイの感覚は、思い起こせば中学生のころから日常生活の中で頻繁に起こっていた現象であり、自分の意志とは関係なく、自動的に「発動」します。

       

      しかし、この能力が毎日自動的に発動してしまうと大変不便さを感じたため、あれから自分なりに能力を衰えさせようと意識しながら生活を続けてきたせいか、現在ではたまにこの能力が発動する程度に抑えられています。

       

      対象物となる存在(人や物、写真に写っている場所など)が、今ここにいる自分とどんなに距離が離れていようとも、全く関係ありません。

       

      ただし、全てのものからニオイを感じるということはあり得ませんし、どういった作用が働いてそのように発動するのかも不明なままですが、私がその対象物を、主に犹覲佚または狄┳佚に接したものの中から、まるで私自身の奥に秘められた感知能力が何かを察知したかのように、突然にして、ニオイを発動させるのです。

       

      でも、こういった能力が昔からあるとはいえ、これを一体どのように使いこなせばいいんだろうか・・・。いまだによくわかりません Docomo_kao8

       

      このニオイの共感覚については、これとは別の体験談がいくつかあるので、いずれご紹介していきたいと思います。

       


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      【不思議体験記4】人魂を見る

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        小学6年生の時、夏祭りで子供の盆太鼓を披露することになり、その練習が夕方から行われる予定だったため、友達数人と地区の集会所に集合していた。

         

        しかしその日は、太鼓を教えてくれるはずの地区の消防団の大人たちがなかなか姿を見せず、ずっと待っていた私たちはだんだんと飽きてしまい、じゃあすぐ近くにある神社に行ってかくれんぼでもやろう、ということになった。

         

        私は境内にあった石燈籠の後ろに隠れ、鬼が私のいる場所とは反対方向に行ったのを見てホッとしたのもつかの間、何気なくすぐ横を見ると、距離にして2〜3m離れた斜め上方に、なんと黄緑色に光っている丸い物体が浮かんでいるではないか。

         

        よく見るとそれは「人魂」だった!

         

        その人魂は、まず直径10僂曚匹隆櫃て少し黒っぽい球体の「核」とも言える部分があり、その核の周りは黄緑色(どちらかというと緑色に近い色)の光のようなものが、まるで炎に包まれて燃えているかのような感じで「核」全体を覆っていた。

         

        意外にもそれは、時代劇の幽霊屋敷などに出てくる人魂に非常によく似ており、ゆらゆらと揺れながら私の斜め上方を通過して頭上に上がっていき、境内にあった木の上までくるとフッと消え去ったのだ。

         

        この時に、周囲に友達はだれもおらず、私一人で石灯籠の後ろに隠れていたことに間違いない。

         

        ゆらゆら揺れながら上昇する人魂を私はずっと見つめていたのだが、その際になんとなくではあるが、人魂が私に向かって何かを語りかけていたような、そんな感覚が伝わってきた。

         

        人魂が現れてから消えるまでの時間は約1分程度だったが、不思議なことにその間は一切の恐怖を感じることは無かった。

         

        この出来事を、一緒にかくれんぼをしていた友達に言っても信じてもらえないと思ったので何も言わず、結局その日は盆太鼓の練習も中止となったため、みんな帰宅の途についた。

         

        その帰路の途中、私は「さっきのは一体何だったんだ⁉」という疑問と驚きで頭がいっぱいであり、暗い夜道をどうやって家まで帰ってきたのか、その記憶がないこともまた不思議なことであった。

         

         

        【補足】

        神社の境内で人魂を見た時のお話です。

         

        人魂というものは、これまでテレビの時代劇などでときおり登場するものであり、ただでさえ怖いイメージのある「幽霊」というものを、さらにそれを倍加させるほどの相関的な心象をもたらす存在だという認識を持っていました。

         

        しかし、私が体験したこの「人魂との遭遇」では、一切の恐怖を感じることなく、それどころか「私」と「人魂」という、二者間での心の対話とも言えるようなものがなされていた感覚さえあるのです。

         

        もちろんこれは、一体どのような対話がなされたのかを頭で理解できるものではなく、私自身の心がそのように理解したものであるため、実際に取り交わした内容については知る由もありません。

         

        さらに、これは後に判明したことなのですが、私が歴史文化関係の仕事をしていた頃、私自身が興味があって各地区の神社にある狛犬についても調査をしたことがあるのですが、その時に文献上で、今は亡き一人の有名な石工職人の名前が出てきました。

         

        この石工職人がつくった狛犬を一度見てみようと、数か所の現地に赴きました。

         

        そして不思議な巡り合わせと言えるのか、そのうちの現地の一つに、かつてあの時にかくれんぼをした神社も含まれていたのです。

         

        私「ああ、そういえば小学生の時に、ここの神社で人魂を見たんだったな・・・」

         

        と思い出し、私が隠れた石灯籠の後ろに刻まれている彫刻名を見た時のことです。

         

        ここで驚愕の事実が待っていました。


        なんと、私が隠れたこの石灯籠をつくった人物こそが、今回の調査で調べている有名な石工職人その人だったのです!

        (正確には石灯籠というよりは「御神燈」なのですが、とても立派なものです)

         

        なんだこの偶然はー!と心の中で絶叫しました(笑)。

         

        あの時に見た人魂は、まさかこの石工職人の魂だったのでは・・・そんな思いも心によぎるのです。

         

        これは余談ですが、あの時に人魂と心の対話をしたという内容ですが、もしかしたら私はこのように語りかけられていたのかもしれません。

         

        人魂「盆太鼓の練習をサボらずにしっかり頑張るんだぞ。

           そして今年もまた、祭りのにぎわいで楽しませておくれ」

         

        ※現在では違う場所で盆踊りが開催されていますが、かつてはこの神社の境内で行われていました

         

        石工の名工として名を残した彼だからこそ、盆太鼓の練習をサボってかくれんぼをしていた私に、しっかりやれよと声をかけてくれたのかもしません。

         

        今でも、この立派な御神燈にはきっと彼の心が宿っていて、参拝に訪れる方たちを見守ってくれていることに違いないでしょう。

         


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        【不思議体験記3】交通事故に遭うも無傷

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          私が小学生の時に、野球好きの父親と一緒に自転車で近くの小学校にキャッチボールをやりに行った時のことである。

           

          夕方になり日も暮れだし、暗くなってきたのでそろそろ帰ろうかということになった。

           

          その帰り道、自分は左右確認をしっかりせずに丁字路を勢いよく右折したところ、左側からきた車と衝突。その場に自転車ごと倒れて気を失う。

           

          数分後に気がついて目を開けると、顔から20僂曚匹龍甬離に車のタイヤがあり、この時に、

           

          私「ああ、自分は交通事故に遭ったのか・・・。この車がこれ以上進んで来たら顔を

            ひかれてしまうので、そのまま止まっていてくれ・・・」

           

          と心の中で思っていたのを記憶している。

           

          それからゆっくり起き上がると、周囲の人たちが心配そうに近寄ってきて声をかけてくれ、特に怪我もなく平気だった。翌日に病院に行って検査をしたが異常無しだった。

           

           

          【補足】

          この事故は、私が左右確認を怠って交差点を右折したことが原因でした。

           

          私の少し前を自転車で走っていた父親に遅れないようにと、しっかり確認せずに交差点に進入した私は、車と衝突するその直前(距離にして1mちょっとぐらい)になってはじめて車が接近していることに気がつきましたが、どうすることもできず、そのまま衝突しました。

           

          しかしその時、車と自転車が接触した際に出る衝突音や金属音というものが、なぜか私の耳には聞こえず(きっと周囲には響き渡っていたことと思いますが)、まるで空気のような目に見えない「壁」や「層」のようなものがクッションとなり、衝突の際の衝撃を全く感じずに、そのまま道路へ倒れこみました(道路へ倒れた際の痛みすらも、何も感じませんでした)。

           

          この直後から、記憶が無くなっています。

           

          気を失った私は、周囲がざわついている声で気がつくと、すぐ目の前には事故を起こした車のタイヤが見えました。私の頭の部分だけが、車の下にもぐりこむような形で入っており、タイヤの溝までもがしっかりと見えるぐらいの近さにありました。

           

          そしてゆっくりと起き上がると、父親をはじめこの現場の様子を心配そうに見ていた人たちが声をかけてくれました。

           

          なぜか、結局最後までだれも救急車を呼んでくれなかったという、今にしてみれば、これもこれでハプニングだったよね?と思ってしまいますが(笑)、幸いにして意識もハッキリしており、体へのダメージもほとんどなく、衝突した自転車の一部が曲がっている程度でした。

           

          現場で事故処理が行われた後、家に帰ってきた私は、確かに普段と変わらない元気な様子ではありましたが、やはり体に何かあると大変だということで、翌日は学校を休み、病院で検査を受けてきました。

           

          結果は「異常無し」でした。

           

          交通事故に遭い、気を失ったものの無傷だったことは不幸中の幸いでしたが、逆に言えば「気を失うほどの衝撃」があったことも事実のため、場合によってはもっと大惨事になっていたかもしれません。

           

          あの見えない空気のクッションのようなものは一体何だったのか、いまだにわかりませんが、衝撃から私の身を守ってくれたことには間違いありません。

           

          見えないご加護をいただいたことに感謝いたします。

           


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          【不思議体験記2】体外離脱をする part

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            《part,呂海舛蕁

             

            飯田史彦先生との共通点から気づいた魂の存在

            この時の出来事は今でもよく覚えており、ときおり思い出しては不思議な体験だったなと振り返ることがある。

             

            なぜこのような不可解な出来事が起こったのか、理由もわからず解明もできず、ましてやだれにも相談できぬまま、長らく自分の心の中に留めてきた。

             

            しかし、この疑問がやっと解決できる時がきたのである。

             

            それは、元福島大学教授の飯田史彦先生が書いた『ツインソウル』の本がきっかけだった。

             

            飯田先生は脳内出血で倒れ、そして魂が肉体から抜け出て、そのまま光の次元に到達してまぶしく輝く光たちに出会い、その光たちから宇宙の真理を教わった方である。

             

            私は光の次元まで行くことは無かったが、先生の臨死体験の一部分が、私が体外離脱をした時の様子と全く同じであることにとても驚いてしまった。

             

            下記に、先生が体験した一部分を抜粋する。

             

            「(肉体から魂が抜け出た直後)その時の私は、まだ、物質世界ならではの

            「時間」と「空間」の感覚で、自分という存在をとらえていました。

            そこで私は、まず、いちばん近くにいるであろう、妻子のところに

            「行って」みようと思ったのです。

             

            すると、その瞬間に、私は、自宅の一階リビングに存在していました。

            それは、「行く」とか「移動する」といった、「時間」と「空間」

            (あるいは「距離」)の感覚を伴ったものではなく、いわゆる「瞬間移動」

            いった感覚とも違っていました。

             

            いわゆる「瞬間移動」というのは、「前の瞬間にはA地点におり、

            その次の瞬間にはB地点にいる」という現象を意味しており、

            やはり「時間」と「空間」(距離)の感覚を残した表現になります。

             

            しかし、私が経験した現象には、「瞬間」や「移動」という感覚さえも、

            まったく無かったのです」

             

            (引用 飯田史彦著『ツインソウル 死にゆく私が体験した奇跡』 PHP出版)

             

            この文章から気づいたことがある。

             

            私が体外離脱をしたあの時に、このままこうしていたら何か大変なことになってしまうと思い始め、「早く元の状態に戻った方がいい」と考えた瞬間に肉体に戻っていたわけだが、厳密にいえば「瞬間」という言葉には、物質的な時間の概念が含まれており、現在から未来へ移行する際に、極めて短い時間間隔の中で起きる連続的事象のことを指す表現である。

             

            しかしながら、これはあくまでも物質世界特有の「直進的に進む時間軸」でのみ発生する事象であり、肉体から抜け出た魂の状態においては、この物質世界特有の時間的及び空間的事象からは完全に解き放たれる存在になるわけである。

             

            私が体外離脱をした時の様子を説明するのに、どうしても「瞬間」という表現を使わざるをえないのだが、改めてこの時の様子をよくよく思い返してみると、空中に浮いていたあの状態から、距離にしてわずか下方2m弱程度の近距離で寝ていた自分の体に牋榮悪したという感覚が全く無かったばかりか、自分の体に戻って行くという、犢圓の行為や感覚、感触さえも、何一つ感じることは無かったのである。

             

            この部分が、飯田先生が経験されたこととピタリと一致したのである。

             

            そしてこの時の私は、三次元物質世界特有の現象である「時間」や「空間」といった概念から、完全に解き放たれていた状態であったと言えるだろう。

             

            さらに、家庭用照明の常夜灯しか点いていない薄暗い部屋なのに、最初に目を開けると(魂の状態では目はないので、目を開けて見るという感覚)、そこには木目調がはっきりと見え、それが天井の木目だと瞬時にわかり、視線を下におろすと(これも人間の感覚で表すと、自分の位置から下方に目を向けるという感覚)、自分が布団に寝ているということがはっきりと「判断」できたのである。

             

            部屋が薄暗くてよく認識できなかったというような、あいまいな部分は何一つなかったと言っても過言ではないくらい、全てのことが直感的に、かつ瞬時にわかったのである。

             

            まさにこれが「自分がそう意識する」だけでそれが現実になるという、そして「あらゆる存在とつながっている」という魂の存在証明であるという考えに至ることができたのである。

             

            それともう一つ。これはふと感じたことだが、私が体外離脱をした直後に、「自分の周りが静寂に包まれているのに気づき・・・」と書いたが、この静寂さというのは、単純に「周囲に雑音が無く静かな環境」という、聴覚で聞こえるか・聞こえないかを判断するようなものではなく、音源という物質的要素を必要としない、「どこまでも限りなく続く無空間」にでも放り出されたような感覚があったことを覚えている。

             

            これが、いわば「宇宙意識」ともいえる、物質世界の領域を超越した、まさに宇宙そのものの存在と同化したためにこのような意識感覚に到達したのではないだろうか、とさえ思えてならないのである。

             

            自分が宇宙意識になるということは、まさに「宇宙と同化する」の意であり、宇宙空間にぽっかりと浮かぶ地球そのものを、まるで自分が丸々包み込めるような存在にでもなったのではないだろうか。

             

            そのため、あらゆるものが自分の「内」に存在することになり、もはやそこまで移動することも、そこに時間を費やすことも必要性が無くなり、「そこに意識を向ける」だけで、「あらゆる存在とつながる」ことができたのではないか、という考えに至っている。

             


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            【不思議体験記2】体外離脱をする part

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              小学校低学年の時に、俗にいう「体外離脱現象」を経験したことがある。

               

              その時は風邪をひいて寝込んでおり、熱が39度ほどはあったと思われる。部屋の明かりは、家庭用照明の常夜灯(小さな電球)だけが点いており、薄暗い状態だった。

               

              かなりの高熱のせいか、目をつぶると頭の中で、不規則な配列を組んだ数字(一桁のものもあれば二桁、三桁など)がめまぐるしく回っており、数えようにも数えきれないほどの多くの数字で頭の中が埋め尽くされていた。

               

              この数字を1から順番に整理しようとイメージしたが、どうにも手が付けられず、ひどく苦痛を感じ始めたので、私は心の中で「もういやだ!」と、大きく叫んだ。

               

              すると次の瞬間、あれほど頭の中にたくさんあった数字が全て消えてしまい、さっきまでの苦痛も、そして体の熱っぽさも、全く感じなくなっていたのである。

               

              そして、自分の周りが静寂に包まれているのに気づき、ゆっくりと目を開けてみると、初めに見えたのは木目調の木の板だった。

               

              私「あれ、こんなところに木目調のものがあったかな?」

               

              と思ったとたん、今見ているものは部屋の天井であり、その天井に使用されていた木の木目であることがわかった。私の頭のすぐそばには天井があったため、もう少しで頭がぶつかりそうだ、とこの時に感じていたことを今でも覚えている。

               

              そして、そのまま目線を下に向けた時、さらなる驚きが待ち受けていた。

               

              私「・・・自分が寝ている!!」

               

              自分は今、なぜこうして空中に浮いているのだろうか。なぜ自分の真下にも、もう一人の自分がいるのだろうか・・・。

               

              そして、空中に浮いている自分の体から、下に寝ているもう一人の自分に向かって、なにやら白っぽい、半透明のヒモ?のようなものがうっすらと伸びて繋がっているようにも見えた。

              (このヒモのようなものが一体何かは、この時にはあまり気にしなかったのだが、おそらくこれは霊子線(シルバーコード)と言われるものだろうと思われる)

               

              この状態のまま少し様子を見ていたが(この出来事に対して唖然として、何をしていいかわからなかったという感じ)、小学校低学年の私にとってはこのような奇妙な感覚は到底理解できず、「このままこうしていたら、何か大変なことになってしまう」と思い始め、「早く元の状態に戻った方がいい」という考えになった。

               

              そしてそう思った次の瞬間、空中に浮いていたという感覚から一転して、急に体に重苦しさや暑苦しさを感じるようになった。

               

              ひどく苦痛を感じていたさっきまでのあの感覚が、再びよみがえってきたのである。

               

              《Part△紡海》

               


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              【不思議体験記1】5歳で霊の存在を知る

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                私が5歳の時に祖父が亡くなったが、その数日後のことだった。

                 

                夜寝ていた時にふと目覚めると、廊下の奥から何やらうめき声が聞こえてきた。

                「なんだろう?」と思い耳をすませると、その声はなんと死んだはずのおじいちゃんの声であることがわかった。低いうめき声をあげながら、ゆっくりと廊下を歩いているようだった。

                 

                私「え⁉なんでおじいちゃんが・・・」

                 

                私の家は、南側の玄関から北側にあるトイレまで廊下がまっすぐにのびており、どうやらおじいちゃんは北側のトイレの方向から玄関に向かって歩いてきているようだった。

                 

                南側の玄関の、しかも廊下側に一番近い場所で寝ていた私は、おじいちゃんの声がよく聞こえたのだ。

                 

                この時は、両親と共に同じ部屋で一緒に寝ていたが、親はこのことに全く気付いておらず、スヤスヤと眠っていた。

                 

                普通は廊下を歩けば、歩調に合わせて歩行音や床がきしむ音が聞こえてくるが、この時はこういった音は聞こえず、うめき声だけがだんだんと大きく、そしてゆっくりと近づいてきたのだった。

                 

                布団に入っていたので実際にその姿を見たわけではなかったが、廊下を歩きわたって玄関まで来た時に、その声は静かに消え去った。

                 

                私「・・・あぁ、おじいちゃん、行っちゃったんだ・・・」

                 

                それはおじいちゃんの、私たち家族との最後のお別れの瞬間だったのだろうと、今でもそう思っている。

                 

                霊という存在を始めて知ったのがこの時だった。

                 


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                桜井識子
                川崎大師の貫主をはじめ圓能院住職、於菊稲荷神社宮司などによる読経や真言が収録。本物の真言を授かることができる