【不思議体験記13】雲龍 現る

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これは今から7年前のお正月、夕暮れ時の公園を散歩中に起こった出来事である。

 

この公園には広い芝生があり、私はそこの上を「ありがとう」と「よかった」という言葉を、夕暮れ時の空に向かってつぶやきながら歩いていた(お正月の夕暮れ時とあって、周囲には他にだれもいなかったが、しかし芝生の上を歩きながらこんなことを言っている者など普通はだれもいないが(笑))。

 

かなり暗くなってきたのでそろそろ帰ろうと思い、駐車場へ向かおうと歩き始めたその時だった。

 

上空にはさっきまで筋状の雲だったものがいつの間にか形を変え、なんと大きな龍の顔になっているではないか!

 

その龍の両目の部分のところには、偶然にもキラキラと輝く星ものぞきこむことができ、まるで私を見つめているようだった。これにはさすがに私も「…え⁉りゅ、りゅうだー!」と声を出して驚き、後ずさりしてしまったほどだった。

 

とっさに、ポケットに入れていた携帯電話を取り出し、この雲龍を携帯のカメラで撮影しようと思いついたのだが、その瞬間、頭の中に「それでは撮影できない」という言葉がインスピレーションで入ってきた。

 

この時なぜか私は「なるほど、そうか」と、先ほどの驚きがどこにいったのかというほど冷静になっており、そのインスピレーションを受け入れることができた。

 

その時に瞬時に判断できたことは、私が持っている携帯電話のカメラは型が古く、いわゆる「ガラケー」タイプなので高機能ではないこと。そして周囲はかなり暗くなってきていることもあり、フラッシュ機能も無く解像度も低い、などの点から、カメラが被写体を認識することができないことが理由なのだ、と瞬時に理解することができていた。

 

さらに、その龍から続けてインスピレーションが届いた。

 

それは「お前はいま、何を望むか?」というものだった。その質問に対し、私は「この世界に名前を残せるような、この地球を救うような立派な人間になりたい」と心の中で返事をした。

(しかし今思い返してみても、あの状況下で「よくそんなことが言えたな〜」と、自分の大胆な発言に思わず恥ずかしくなってしまうが、ある意味ではその発言に感心しつつも、そんなことを言って本当に良かったのか悪かったのかわからない思いもこみあげてくる)

 

しばらくすると、その雲龍は自然に消えていったが、その大胆な発言に、雲龍もどこか驚いた様子だったのかもしれない(笑)。

 

 

【補足】

当ブログの「PhotoGallery」のカテゴリーの中で、これまでにいくつかの「龍のように見える雲」として写真を掲載してきましたが、それらをはるかに凌駕するほどの、大迫力で威厳をも感じさせる、まさに伝説上の龍の顔が大きな雲となって上空に現れた、という出来事でした。

 

この雲龍が現れた公園は、家からも近くてよく散歩に出かける場所で、とても広い芝生があります。遊歩道も整備されて歩きやすく、公園の周囲には田んぼがあり、これがまたのどかな風情を感じさせ、とてもリラックスできるので気に入っています。

 

そんなお気に入りの公園へ、お正月中ではありましたが、いつものように散歩に出かけました。

 

夕暮れ時の空を見上げながら広い芝生の上を歩いていると、心の中から自然に「ありがとう」という言葉がわき起こり、それに続いて私が日頃から自分に対して安心感や自信が持てるよう、自己暗示的なものとして唱えている「良かった」という言葉も併せて出てきたため、これらの言葉を空に向かって交互につぶやいていました。

 

その後、かなり暗くなってきたので帰ろうかと思い、駐車場へ向かおうとして振り向いたその時です。

 

私「…え⁉りゅ、りゅうだー!」

 

少し前までは特に変わった様子は何も無かった上空の筋状の雲が、いつの間にか形を変え、まさに猯兇隆薛そのものとなって浮かんでいたのです!

 

さらに驚いたことは、龍の両目の部分にあたるところにちょうどキラキラと輝く星があり、まさに「目」そのものでした。

 

とっさにポケットから携帯電話を取り出し、撮影を試みようとしましたが、その瞬間に「それでは撮影できない」というインスピレーションが入ってきました。私の携帯電話のカメラでは性能が低いうえに、周囲が暗くて撮影には適さないことを、雲龍が一瞬にして教えてくれたのです。

 

この一瞬にして訪れる「ひらめき」について、身近なものに例えて言うならば、まるで「電子メール」のようなものに近いなぁ、と私は思っています。

 

メールは端末を通じて届きますが、それを開いてみると、簡単な短文の場合もあれば、何百字以上にも及んで詳しく書かれたもの、そして写真や文書などが添付してあったりと、状況に応じて様々ですが、送信者が伝えたいことがまとまっています。

 

それらは、当然ながら「端末が受信するまで」は、どんな内容のものが送られてきたのかはわかりませんが、開いてみればすぐに内容を確認することができます。インスピレーションにおいても、いつ、いかなる時に、インスピレーションが届くかは全くわかりませんが、「届いた瞬間」に、相手が私に何を伝えたいのかが、一瞬にしてわかります。

 

私が雲龍からインスピレーションを受けた「それでは撮影できない」というものの中には、同時に、かつ一瞬にして、なぜ撮影できないのかという理由についても含まれていました。

 

そのため、「撮影できないって言われてもさ、じゃあ何で撮影できないの?」などという、人間の脳の特性である犁震笋鮹里蠅燭ぁεえを見つけたいという考えが頭の中に浮かぶことは一切ありませんでした。とても冷静に、内容が理解できる形でインスピレーションを受け入れることができたのです。

 

そして、次に雲龍からは、「お前はいま、何を望むか?」と問われました(心の中にこの言葉が入ってきました)。

 

それに対する私の答えは、「この世界に名前を残せるような…」と、ええと、あの〜、これについては思い返すだけで非常に恥ずかしくなってくるのでこれ以上は書きませんが(笑)、今までこのようなことは一度も言ったことなどないのに、なぜかこの時は自然と口から出てきたのです。

 

実は私自身、あまり目立つことは好きではない狠脇擦吠事をこなすタイプであり、心臓に毛など生えていないはずなのになぜあのような大胆な発言を…。ある意味で、度胸があると言えるのか何なのか、広い芝生の上で一人で空に向かってこんなことを言い放った自分が心底おそるべし、と思っている今日この頃です 汗

 

それを聞いた雲龍は、きっとあっけにとられたことでしょう。それ以上は何も語ることはなく、「おいおい、ちょっと、それ本気で言ってるの?」と言ったか言わないかは定かではありませんが、ゆっくりと消え去ったのでした。

 

この大胆な言葉が、これからの私の人生の中で、果たしてどのように展開されていくのか…ということは当然ながら全くわかりませんが、おそらくは何の影響も無いことでしょう。なぜなら、このことについて現在では何も期待感を持っておらず、ほとんど興味すらわかないからです。

 

そんなわけで、これからも地道に、なおかつひっそりと、このブログにおいて私の不思議な体験談をご紹介していきたいと思いますので、ご興味のある方はまたぜひお越しくださいませ ちゅん

 


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【不思議体験記12】霊と力比べをする

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    今から約8年前のことだが、福島にある美術館で古代エジプトのミイラ展が開催されていたので観に行ってきた。

     

    私は普段、これといってあまり展示会などには足を運ぶことは少ないのだが、しかしこのミイラ展に関しては、展示案内のパンフレットを見た時に「行ってみたい!」となぜかそう思ったことがきっかけで、出かけることにした。

     

    実際にミイラを見たのはこの時が初めてで、本物を間近で見ることができた感動、そしてその迫力にも圧倒され、とても印象に残る展示会に満足して美術館を後にした。

     

    それから3日後のことである。全く予想もしていないような不思議な出来事が、私の身に起こったのである。それは、真夜中に突然訪れた。

     

    私はすでに眠っていたが、ふと気がつくと部屋の障子戸が閉まっているにもかかわらず、そこをスッとすり抜けるかのように何者かが部屋に入ってくるのがわかった。

     

    なぜあの時に、それまでぐっすりと眠っていた自分が、障子戸をすり抜けるかのように「何者」かが侵入してきたことに気がついたのかは理解できないのだが、家族のだれかが部屋に入ってきたという気配ではなく、これは何らかの霊的な存在であるということを察知した。

     

    部屋は電気が消えていたため、だれが入ってきたのかまでは暗くてよく見えなかったが、どうやらその者(霊)は私の足元にいてこちらの様子をうかがっているようだった。

     

    暗い部屋で、お互いが沈黙の対峙をする最中、なんとその霊はいきなり私の布団を引っ張り出し、少しずつずらし始めたのだった。

     

    私も引っ張られては困るので抵抗し、お互いがまるで布団を綱引き代わりにするようにして引き合い、拮抗状態になった。

     

    するとその霊は引っ張るのをやめ、私の耳元まで来て「うごかね、うごかね、うごかね」と3回言い、音も無くそのまま消え去った。

     

    当初は、エジプトのミイラ展を観に行った影響があるのかもしれないと思ったが、しかし出てきた霊は日本人で、かつ東北特有のなまりがあり、年老いたおじいちゃんのような声だった。

     

    この時は金縛りにはならなかった。

     

    自分は「手」ではなく、あるもので布団を引っ張っていたことが判明!

    これについて後から思い返してみた時に、非常に不可解な点があることに気がついた(もっとも、夜中に霊が現れて、お互いに綱引きならぬ布団を引き合い、耳元で言葉をささやかれた、ということ自体が不可解なことではあるが…)。

     

    それは、お互いに布団を引っ張り合っていた時のことである。考えてみると私はその直前まで寝ていたわけであり、全くの無防備な状態だった。その寝ている状態で霊が現れ、いきなり布団を引っ張り出したため、私は狄欧討い時と同じ状態のまま抵抗したわけである。

     

    すなわち、急に布団を引っ張り出した霊に対して、私は全く動くことなく、ましてや布団をつかむこともなく、なんと自らの「意思」だけで、布団を引っ張り返していたのである!

     

    それなのに、相手が引っ張るその力にも負けないほどの力が出せていた、ということが不思議でならないことである。

     

    霊と対峙する時には、自らの意思というものが通用することを体験できた時だった。
     

     

    【補足】

    夜中、私の部屋に「霊」といわれる存在が侵入してきて、急に布団を引っ張り出したかと思ったら「うごかね」と3回言い放ってそのまま消え去ったという、一体何の意味があってそんなイタズラのようなことをしたのか、今でもさっぱりわからない奇妙な出来事を体験しました。

     

    私の耳元で霊が言った「うごかね」という言葉は、標準語で言うところの「動かない」という意味です。物を動かそうとしたけれど、それが全然動かない場合などに使います。

     

    この現象が起こったきっかけは何だろうかと考えた時に、真っ先に思い浮かぶのは、やはりエジプトのミイラ展を観に行ったことが影響したのではないか、ということです。

     

    美術館で迫力ある生のミイラを間近で見たことにより、目には見えない霊的エネルギーの様なものに自分が感化されてしまい、それによって3日後の夜に奇妙な出来事が起こった(あるいは誘発された)のかもしれないと思われますが…

     

    しかし、このエジプトのミイラと、明らかに東北なまりのある、しかもその声の質からして「おじいちゃん」と推測できるような年齢層の人物との間には、特に際立った有因性はどこにも見当たらず、ミイラ展から3日後という近々の間で偶発的に起こった出来事なのだろうと、断定はできませんが、どちらかといえば現時点では後者の見方を強めています。

     

    何よりも謎なことは、突如現れたおじいちゃん霊は、「なぜ私の布団を引っ張ったの?」ということです。

     

    実際に、おじいちゃん霊に布団を引っ張られましたので、わずかではありますが布団が動きました。そのため、もしもこのまま引っ張られようものなら、場合によっては布団を丸々取られてしまい、霊障のような災いが降りかかるのではないかと、一瞬恐怖心がよぎりました。

     

    その恐怖心で、体を動かしたり起き上がるということができなかったため、心の中で「おじいちゃん霊が引っ張る方向とは逆方向に働く力」の念いを強くイメージしました。

     

    具体的に言うと、手で布団をグッとつかんでいるように心の中でイメージをし、そのまま布団を自分の方へと引き寄せるような感じです。これを、たった一瞬で終わらせるのではなく、そのイメージを保ったまま持続させました。

     

    すると、布団の動きがピタリと止まったのです。言い方を変えると、まさに綱引きでお互いの力が拮抗状態にある時に、綱がピンと一直線になったまま動いていない、あの状態になったのです。

     

    その間、約30秒ほどだったでしょうか、短いようで意外に長かったと感じました。

     

    そうしていると、布団を引っ張る感触がフッと抜け、急に私の耳元で「うごかね、うごかね、うごかね」と聞こえたかと思うと、そこから一切の気配が無くなりました。

     

    おじいちゃん霊が、私の足元から耳元へ移動した時や、3回言葉を発した直後に消え去った時も含めて、歩く音や何かに触れた音、部屋を出ていく音なども全くしませんでした。忽然と、その場から消えたのです。このことからも、家族のだれかが部屋に立ち入ったのではなく、やはり霊と言われる存在の仕業であったと言えます。

     

    そして、心の中で思い描くイメージというものが、使い方(念じ方)次第によっては、今回のケースのように目には見えない作用が働くことを実体験した出来事でした。

     


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    【不思議体験記11】星空の中の飛行物体

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      夜空に浮かぶ満天の星空をながめるのが好きな私だが、その日もいつものように星空をながめていると、その中に移動する一点の光るものを見つけた。

       

      周囲の星とあまり変わらない丸い球体のような感じだったが、目を凝らして見ていると、それは直進したかと思うとピタっと止まり、そこから右に直角に曲がって進み出し、また止まったかと思うと今度は左に曲がって高速で進み出した。

       

      その直後にあっという間に消え去ってしまった。現代に存在する飛行物体では絶対にあり得ない移動の仕方だった。
       

       

      【補足】

      まさにUFOとおぼしきものを目撃した瞬間でした。

       

      私は普段から夜空を見上げるのが好きで、以前にこちらの記事でも書いたように、星空を見上げているだけで胸のあたりがジーンとしていました。

       

      その日も満点の夜空を見上げていたときに、しいて言うならば「動かないはずの星」であるはずなのに、なぜかその中の一つだけが動いているのです!

       

      私「…動いた、いま絶対動いた!」

       

      その軌跡を目で追うと、前記したようにまず飛行機では考えられない、他の飛行物体でも物理的には絶対にあり得ないという移動の仕方をするではありませんか。

       

      その間、わずか数秒というごく短時間ではありましたが、しっかりとその様子を目撃しました顔文字

       

      実際に、UFOであろうと思われる飛行物体を目撃したのはこの日が初めてで、気持ちが少し高ぶりました。

       

      次もまた現れてくれることを期待していますufo

       


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      【不思議体験記10】座敷わらし!?金縛り状態で現れた子供の霊

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        ある日の早朝、寝ているといきなり金縛りになった。

         

        よく見ると、なんと胸の上には5歳ぐらいの男の子が正座をして、私の顔をのぞきこんでいるではないか。

         

        私は普段からコンタクトや眼鏡をかけており、寝ている時は当然これをはずして寝ているため、顔の輪郭などがはっきりと見えたわけではなかったが、この子供は頭にちょんまげを結っているようであり、着物を着ているようにも見えた。

         

        しばらくは、じーっと私の顔をのぞきこんでいたが、あまりの重苦しさに耐えられなかったので、体は硬直状態だったが力まかせに腕を無理やり動かし、その霊に触ろうとした時に金縛りが解かれ、それと同時にその霊も消え去った。

         

         

        【補足】

        皆さんの中には、自分の胸の上に5歳ぐらいの子供を乗せたことがありますか?

         

        あるという方はおわかりだと思いますが、いかにまだ5歳ぐらいの子供とはいえ、だっこするのも重くなってくる年齢であり、ましてや胸の上に乗せるとなると、それはそれはもう、ものすごーく重いですよね(笑)。
         

        5歳児の体重はおよそ20kg弱ぐらいあります。その重さの子供が、かつ「霊」という人間ではない存在が、全くの無防備で寝ている私の胸の上に急に乗っかってくるという、私自身としてはこれまでに金縛りを数回経験したことがありますが、その中でも例のない初めてのケースとなる出来事でした。

         

        (※ただ、今回私の胸の上に乗ってきた子供の霊が、20kg弱あるという5歳児の体重と同様の重さだったのかどうかを正確に調べる術はありませんが、あの時の状況を思い起こし、体感的にどのぐらいだったのかをイメージしてみると、「5歳児の体重よりも少し軽い程度と思える」というものであったことを付記しておきます)

         

        私は寝ていながらも「ォホッ!」と咳をして目が覚めました。一体何事かと思いきや、よく見るとちょんまげを結った着物姿の子供が、胸の上にいたのです。

         

        すでにこの時点で私の体は金縛り状態になっており、胸の上にいる子供は、現実の世界にはいない(私の家にも子供はおりません)、いわゆる「霊」とされる存在であるということを認識しました。

         

        この時に感じたことは、この子供の霊には全然悪気が無く、猴靴售恭亅的な感じでヒョイっと私の胸に飛び乗った(または、ある空間から私の部屋にスーッと移動してきて、「おや、だれか寝てるぞ、どれどれ、ちょっと乗ってみようかな〜」みたいな感じの軽いノリ(ノリと乗りをかけたわけではありません(笑))と言ってもいいようなものであり、物珍しい様子で私の顔をじーっとのぞきこんでいました。そして、お互い無言のまま見つめ合っていました・・・

         

        それから次に感じたことは、「うわ、この子供、重い」ということでした。

         

        相手は子供ではありますが、しかしながら人間ではない、霊という非物質的な存在にもかかわらず、本物の子供のように、重さ(体重)を感じたのです。

         

        子供の霊は、正座をしたまま前かがみになり、私に顔を近づけてじーっとのぞきこんでいました。その重さに耐えきれなかった私は、呼吸をするのも苦しくなったため、金縛り状態で動かない腕を無理やり力任せに動かし、子供の腕あたりを触ろうとしたところで突然金縛りが解け、同時に子供の霊も消えたのです。

         

        私「ぉぉおー、(ハアハア)、なんだ今の、子供⁉(ハアハア)・・・えぇ⁉」


        みたいな感じで、途中で息を切らせながら、今起こった出来事に呆然としながら部屋の天井を見つめていました。それからしばらくの間は、布団の中で今の出来事を振り返っていました。

         

        頭にちょんまげを結った着物姿の子供の霊・・・。まるで江戸時代に出てくる子供のようだともいえる姿であり、はたまた子供の霊として有名である「座敷わらし」さえも思い起こさせる姿でした。

         

        そういえば、うちのご先祖様には子供の時に亡くなった子(男の子です)がいると聞いておりまして、毎年春の彼岸、お盆、そして秋の彼岸にはお墓参りをしています。

         

        今回現れた子供の霊も男の子であったため、もしかしたらその亡くなった子だったのではないかとも思いましたが、とはいえこの子についてあまり詳しく話を聞いたことが無く、私とこの子供の霊との間には果たしてどのようなつながりがあるのかは不明のままではありますが、いまだに思い出に残る不思議な体験の一つでした。

         


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        【不思議体験記9】巨大な飛行物体の威圧を感じる

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          これは今から13年前ほど前の出来事である。

           

          その日の早朝、まだ私は寝ていたのだが、西の方角からものすごい大きな物体が上空からやってくるような威圧を感じ、急に目が覚めた。

           

          その猝こ稜飛行物体瓩、私の家の上空を通過するであろうということもなんとなくだが感じていた。あまりにも大きな威圧感だったため、恐怖を覚えて布団から起き上がれず、そのまま通り過ぎるのを待っていたが、家の上空を通り過ぎるのと同じように、足先から頭の先まで駆け上がるように、体中に一気に鳥肌が立った。

           

          私「何だ今のは!? 一体何が起きたんだ⁉」

           

          と、まるで自分だけが夢でも見ているような、そして錯覚にでも陥ってしまったかのように半分パニック状態になってしまった。

           

          さらにその直後、隣の家で飼っている犬がまるで何かの危険を感じたのか、突如として猛烈に吠えだしたため、これは自分だけが錯覚に陥っているようなものではなく、明らかに通常では考えにくい、「正体不明の何か」が上空に存在していることを確信した。

           

          その後、10分ほど家の上空周辺を移動している様子だった。それがなぜわかったかというと、この物体が出現した時から感じていた威圧感が消えないことと、それと非常に小さくではあるが、何かが唸っているような音(グーン、グーンという感じ)が聞こえていたからだ。その音は非常に低音であり、例えていうならば、機械仕掛けの大きな駆動輪のようなものが、周期的にゆっくりと回転している時に出るような音にも聞こえた。

           

          その得体の知れない飛行物体に、ずっと恐怖を覚えていた私は布団から出られなかったが、やがてその音は次第に遠ざかっていき、あれほどまでに猛烈に吠えていた隣の犬もやっと冷静さが戻ったのか、それ以降は吠えることは無かった。

           

          私としてもやっと安心できたのだが、起き上がって家の外を確認する勇気は出なかった。おそらくUFOか、または母船を思わせるかのような大きな存在だったのだろうと考えている。

           

           

          【補足】

          その直前まで熟睡していた自分が、得体のしれない飛行物体の威圧を感じて急に目が覚めた、という突然の出来事でした。

           

          不思議なことに、目覚めた直後にもかかわらず全く眠気がなく、家の西側の上空から「正体不明の何か」がゆっくりとこちらに向かって飛んできているというのが、考える間もなく、直感ですぐにわかりました(この時、私は頭を東側にして寝ていましたので、西側から来る正体不明の飛行物体は、私の足先の方向からやってきたことになります)。

           

          それから数十秒後、その謎の飛行物体が家の上空を通過しましたが、上空を通過していくのと同じように、足先から頭にかけて一気に鳥肌が立ち、その後は恐怖心で布団の中から出られませんでした。人間って、頭で理解できないものが目の前で起こると、ホントにパニック状態になるんですね。

           

          隣で飼っていた犬も、早朝の突然の出来事にさぞや驚いたのでしょう、突然ものすごい勢いでワンワンどころか、ワワワンッ!ウワワンワワンッ!!みたいに激しく吠えだしたではありませんか(笑)。その鳴き声を私は布団の中で聞いていましたが、それまで静かだった犬が、このタイミングでここまで急に吠えだしたということは、つまり犬にはその得体のしれない飛行物体が見えていた、ということになるでしょう。

           

          私「…間違いない、何かが上にいる!」

           

          犬は相変わらず吠え続けていたため、私は布団から出て確認しようとしましたが、恐怖心で体が動きません。仕方なく、布団の中でその状況をやり過ごそうとしましたが、耳を澄ますと「グーン、グーン」という音が聞こえてくるのです。上記文中には、「機械仕掛けの大きな駆動輪のようなもの」と書きましたが、まさにそのようなものが、ある一定周期で回転しているような音でした。

           

          それからしばらくして、その音は次第に遠ざかって行きました。きっとあれはUFOであろうと、今でもそう信じています。

           

          と、実はこの補足を書いている最中に思い出したのですが、あくまでも夢の中の話ではありますが、以前に【印象的な夢】のカテゴリーの中で、自宅の斜め上空に一機のUFOが飛んできて、いまだに解読不明な暗号とメッセージを授かったことを掲載いたしました(それが下記の記事です↓)。


          【印象的な夢2】UFOから謎の暗号とメッセージを授かる

           

          まさか夢の中に出てきたこのUFOが、本当に自宅上空に現れたとでもいうのだろうか…⁉

           

          まあしかし、私は外に出て確認することさえできないほどの恐怖心で、布団の中で身を丸くしていたうえ、謎の暗号も、そして何のメッセージもこの時は授かってはいませんでした。

           

          印象的な夢に出てきたUFOと、今回紹介した威圧を感じたUFOとの間には、犲宅上空に現れた瓩箸いε世任楼戝廚靴泙垢、他には特にこれといって共通点は見当たらないので、きっと違うUFOなのだろうとは思いますが、そこの真相は残念ながら現時点ではわかりません。

           

          しかし今思い返しても、隣の犬はあの時、何を見て吠え続けていたのだろうか…。

          そこが一番気になります UFO

           


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          【不思議体験記8】出現した黄色に発光する謎の球体 part

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            《part,呂海舛蕁

             

            色に発光する謎の球体の正体を追う
            この日に現地調査に訪れた神社は「八幡神社」といい、大昔の「舘跡」につくられた、地元でも大変有名な歴史ある古社で、神社の入り口から徒歩にしておよそ10分ほどかかる山道を登った頂上にある。

             

            周囲には堀あとの形跡も見られ、木々が生い茂っているためにもともと直射日光が入りづらく、昼間でも薄暗い状態であり、山道の頂上に位置する舘跡につくられた神社だけあって、地上から何らかの光が差し込むということはまず考えられない点が挙げられる。

             

            次に、撮影当日は我々以外に人の姿は無く、また撮影した場所は太陽の光がさす方向とは別の方角だったため、発光する謎の球体は直射日光が直接の原因では無い、ということがこの時点でうかがえる。

             

            確かに、専門家の見解である「向こうから何かが光ったのではないか」という可能性は考えられるわけだが、では光った原因を考えてみると、例えばカメラのフラッシュが何かに反射したのではないかと思われたが、境内にも光を反射するような物は何も置かれてはおらず、そもそも、私は専門家が調査に集中できるようにフラッシュを一切たかずに撮影をしていた。

             

            以上のような点から、この場所からは外部からの何かが光るものや、我々からも光源となりうるものは何も無かったことが考えられる。

             

            それに、撮影するその瞬間まではファインダー内に光るものが全く無かったことをしっかりと確認していたわけであり、私がシャッターを切るその瞬間にちょうどタイミングを計ったかのように、「弧を描く」ようにして球体が突如現れたのを考えると、ただ光って消えたのではなく、球体自体にまるで「意思」でもあるかのような出現の仕方も謎の多いことである。

             

            前兆現象か!?デジカメに異変発生
            実は、不思議な現象はこれだけにとどまらなかった。この光る球体を撮影するわずか数分前のことである。

             

            デジカメのメモリーにはすでに撮影済みの数十枚の画像が記録されていたが、何も操作をしていないのに「ピピ、ピピ」という操作音とともに、これらの記録画像が勝手にコマ送りになる現象が数回起こっており、「…ん?何かおかしいな」と思いながら何度か電源を入れ直してようやく正常に動作したのだった。

             

            今までに一度もこのようなことは無く、しかも購入してまだ半年位しか経っていない新しいデジカメなのに、「まさかもう壊れたの?」と思うような出来事も起こっていたのである。

             

            ただ、この日以降も各地での現地調査を実施したが、幸いにも調査自体には何の支障もなく、デジカメの不具合も正常に戻り、予定していた全日程を無事終了することができたので、私としてはホッと一安心であった。

             

            受け継がれてきた歴史を綴る重要な使命と責任

            今回の出来事について、では一体この黄色に光る球体の正体は何だったのかという結論は、残念ながら明確な答えを導き出すことはできなかった。

             

            また、自治体の歴史編纂事業というものは、いわば爐修涼楼萋自が培ってきた人々の歴史の歩みそのものであり、多大な税金も投入されて行われる一大事業でもある。それを考えると社の神様が「お、よくぞ来てくれた、この神社調査をしっかりと頼むぞいう意味で、我々を歓迎するために黄色に光る球体となり、わざわざ弧を描いて現れてくれたのかもしれない。

             

            きっとそうであろうと信じて、その大きな優しさに感謝を捧げたいと思う

             


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            【不思議体験記8】出現した黄色に発光する謎の球体 part

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              今から10数年前のことになるが、当時は自治体の事業の一環として開始された歴史書の編纂事業の仕事に携わっており、その日は調査の一つとして地元にある神社やお寺の写真撮影を行うことになったため、歴史専門家の方と現地調査を実施していた時の出来事だった。

               

              私は、社屋から少し離れたところでデジカメを構え、専門家が境内末社(境内にある小さな社)や慰霊碑などを調べている様子を撮影しようと思ってシャッターを押そうとしたのだが、シャッターを押すわずかコンマ何秒というその瞬間に、太陽の光とは全く別の光源が慰霊碑の上部付近から突然、弧を描くようにファインダー内に現れた。

               

              私はとっさに「これは写ってしまう」と思ったが、あまりにも瞬間の出来事のためその指を止められず、そのまま撮影をしてしまった。

              (今思うと、コンマ何秒というまさに瞬間的な出来事であるにもかかわらず、「これは写ってしまう」と心の中で思う余裕があったことに正直驚いてしまうほど、まるで時間が止まっていたかのような感覚だった)

               

              撮影した画像を確認したところ、黄色い丸い玉のようなものが写りこんでいたため、専門家にもこの画像を見せて多角的な観点から考察してもらったが、結局のところは「確かに光るものは写っているが、偶然にも向こうから何かが光ったのではないか」という見解にとどまるだけとなった。

               

              その後、この日の調査は予定通り進行し、特にこれといって支障もなく無事終了することができた。

               

              ただ私自身としては、専門家の意見に反論するというつもりは無いのだが、先ほどの出来事がまだ頭の中で納得する理解が得られなかったため、ならばと思い、この黄色に発光する謎の球体について、自分なりに分析を試みることにしたのだった。

               

              《次回part△紡海》

               


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              【不思議体験記7】オーラの色が見える part

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                《part,呂海舛蕁

                 

                そもそもオーラとは何か

                生体から発せられる一種のエネルギー体または霊的放射体のことを言い、通常では目視することができない特有の形成体を持つ。

                 

                ギリシャ語で空気・大気を意味する「アウラー」、およびラテン語で「輝き」などを意味する「アウラ」から由来したとされる。

                 

                オーラには色がついているとされ、性格や心身の状態によってその色が変化するとも言われている。

                 

                 

                オーラの色を確認する簡単な方法
                オーラの色を確認する方法にはいくつかあるが、その中で私がやっていたごく簡単な方法を紹介する。

                 

                まずできれば背景が白色の壁などの前に立つ。壁でなくとも、白色のコピー用紙などを数枚準備してもかまわないだろう。部屋の照明は、通常の明るさであれば問題ない。

                 

                次に両腕を前に出し、両手の人差し指、中指、薬指を軽く曲げて顔の前でそれぞれの指先だけをくっつける。

                 

                そのまま指先にしばらく意識を集中しながら、ゆっくりと指を離していく。すると、三本の指の軌跡に沿って、まるで三本の白い筋のようなものが目に残って見えると思う。一種の残像現象を利用する形だ。

                 

                その時に、初めは白い筋にしか見えないものが、訓練を重ねることによって段々と色がついているように見えてくるのである。

                 

                 

                オーラの色は人それぞれ違う
                話は最初に戻るが、私がオーラに色があることに気がついたのは、(おそらく中学生の時だったと記憶しているが)訓練を始めてから半年もたたないうちに訪れた。

                 

                それは、風呂上りの脱衣所でのことだった。

                 

                その日も、オーラの色を確認するために指先に気を集中してゆっくりと離していくと、いつものように三本の白い残像ではなく、薄い緑色の線となって目の前に現れた。何度繰り返しても、緑色の線を(色を)はっきりと見ることができた。

                 

                別の日にも、同じように風呂上りに試したところ、今度はうっすらと赤色や黄色も見ることができた。

                 

                このように、オーラというものはその日の体調や、あるいは感情などによって、色に変化があるものだということにも気がついた。

                 

                また、学校で授業を受けている最中には、黒板に字を書いている先生の体の周り(体の外周部と黒板が重なり合う ふちの部分)に何やら白いモヤのようなものがかかっているのが見えるのだが、さらに意識を集中するとそのモヤにうっすらと色がついているのを確認することができた。

                 

                先生によって、いや、その人によってそれぞれ色が違うということも発見した。ただ、意識をすればどんな人のオーラも必ず見えた、というところまではいかなかった。

                 

                現在では、この時のようにオーラの色が見えることはあまり無いが、オーラを見る環境が整っている状態で、さらに自分の集中力を高めた時に、ボンヤリとではあるが見える場合がある。

                 


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                【不思議体験記7】オーラの色が見える part

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                  オカルト好きなら知らぬ者はいないというほど、誰しもがその名を知っているミステリーマガジンと言えば、昭和54年に創刊された学研の『ムー』という月刊誌がその代表格と言えるだろう。

                   

                  私は、このムーを中学生の時から読んでいるのだが、とある号の特集にオーラを取り上げた記事が掲載されており、そこには「訓練次第でオーラが見えるようになる」ということが書かれていた。

                   

                  その訓練方法の中身だが、残念ながらそのほとんどを忘れてしまい、断片的にしか思い出せないのだが、準備するものが一つあった。それは、濃い緑色をした、光を通す材質のものである(私は緑色の下敷きを2〜3枚程度重ねて濃さを出した)。

                   

                  まず、これを照明にかざしたまましばらく見つめたら、次に下敷きをはずして照明をしばらく見つめ、次にまた下敷きをかざして照明をしばらく見つめるという、単純すぎるほど簡単な手順を繰り返し練習するというものだった。

                   

                  もしかしたら、私が忘れてしまっているだけでこの他にもいくつか手順があったのかもしれないが、一体どんな理論に基づいてこの方法が編み出されたのかは今では全く知るよしもない。

                   

                  ただ、このころの私はこういった不思議系やオカルト系要素にとても興味を持っていたため、このあまりにも簡単すぎる方法が、逆に飽きずに面白半分で取り組めたことを懐かしく思い出した。

                   

                  そしてある日、あろうことか、本当にオーラが(色が)見え出したのだった。

                   

                  《次回part△紡海》

                   


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                  【不思議体験記6】なぜかきまって涙が出そうになる

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                    小学生から中学生ぐらいにかけて、夜空に浮かぶ星空を見上げるだけで、いつも体全体がジーンとし、なぜか涙が出そうになっていた。

                     

                    言葉では言い表せないような懐かしい感覚があり、いつも泣きそうになる寸前まで空を見上げていた記憶がある。

                     

                    高校生になるころには、この現象はほとんど無くなったが、一体なぜこうなっていたかは今でも理由はわからず、謎めいた現象の一つだった。

                     

                     

                    【補足】

                    今思い返してみても、これも説明がつかない現象の一つでした。

                     

                    もともと星空を眺めることは好きな方でしたが、闇夜という静寂の中に包まれた、輝く無数の星々その一つ一つが、まるで私を見つめているかのような錯覚さえ覚え、いつも胸のあたりにジーンとくるものがありました。

                     

                    泣きそうになる寸前まで星空を見上げていましたが、もしもそのまま見続けていたら、きっと私は涙が止まらないほど号泣していたかもしれませんき

                     

                    現在ではここまでジーンとすることは無くなりましたが、今でも相変わらず星空を見上げることはとても好きです。

                     

                    もしかしたら、

                     

                    かつて私は遠い昔に、

                     

                    どこかの地で、

                     

                    星々に祈りを捧げていた時代があったような・・・

                     

                    そんなふうに、ふと思いが馳せました。

                     


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                    【不思議体験記5】人の心の状態をニオイとして感じる

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                      主に中学生のころによくあったことだが、相手を見ていたり話をしている時や、突然その人のことが頭に思い浮かんだりした時などに、その人の「ニオイ」を感じることがあった。

                       

                      ただ、ニオイと言っても「体臭」の方ではなく、爐修凌佑凌瓦両態ともいうべきニオイである。

                       

                      例えば、素直で明るい人と接すると、やさしくやわらかい波動のようなもの(この場合は特にニオイが無い場合があった)が伝わってくるのだが、イライラしていたり怒っていたりする人と会った時は、非常にきついニオイ(表現が難しいが、何かが腐ったようなニオイに近いものだが、一体何が腐ったものなのかは特定することができない)が自分の心に伝わってきた。

                       

                      一時期は、そういったマイナス的な感情を抱いている人の近くにいるだけでも嫌気がさすほどだったことがある。

                       

                      ただ、このことが果たして本当に心の状態を判別できたのかは未解明なことではあるが、自分なりにいつも不思議な感覚だなと思いつつ日常生活を送っていた。

                       

                      現在ではここまで敏感ではなくなったが、ときどき感じることがある。

                       

                       

                      【補足】

                      みなさんは「共感覚」という言葉をご存知ですか?

                       

                      共感覚とは、ある一つの物事や刺激に対して、視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚という五感が何らかの理由でつながって感じられ、通常の感覚とは別にさらに異なる種類の感覚をも生じさせる、特殊な知覚現象のことを言います。

                       

                      例えば、アルファベットのAを見た時に、通常ならば黒い字で書かれたAが、共感覚を持つ人には赤い色がついているように見えたり、音という聴覚で認識するものに、なぜか味覚を感じるなど、いくつかの種類があります。

                       

                      私自身、共感覚という言葉があることを知ったのはごく最近のことであり、文字に色がついて見える人を紹介していたテレビ番組を観て、始めてこのことを知りました。

                       

                      私「へぇ〜、世の中にはこういう特殊な能力を持っている人がいるんだな〜」

                       

                      と思いつつテレビを観ていると、色がついて見えるばかりではなく、「ニオイ」を感じることも共感覚の中の一つであるということを知り、

                       

                      私「何だって・・・⁉ニオイもそうなの?あ、じゃあ、自分にもある!」

                       

                      となったわけです(笑)。

                       

                      ※「ニオイ」と表記している理由は、

                      匂い→いいにおい、いい香りなどの時もあれば、

                      臭い→嫌なにおいなどの意味のどちらの場合でも感じることがあり、またある時には何とも表現のしようがない、特定するのが難しい場合もあるため、ここではあえてニオイとカタカナ表記にしています。

                       

                      このニオイの感覚は、思い起こせば中学生のころから日常生活の中で頻繁に起こっていた現象であり、自分の意志とは関係なく、自動的に「発動」します。

                       

                      しかし、この能力が毎日自動的に発動してしまうと大変不便さを感じたため、あれから自分なりに能力を衰えさせようと意識しながら生活を続けてきたせいか、現在ではたまにこの能力が発動する程度に抑えられています。

                       

                      対象物となる存在(人や物、写真に写っている場所など)が、今ここにいる自分とどんなに距離が離れていようとも、全く関係ありません。

                       

                      ただし、全てのものからニオイを感じるということはあり得ませんし、どういった作用が働いてそのように発動するのかも不明なままですが、私がその対象物を、主に犹覲佚または狄┳佚に接したものの中から、まるで私自身の奥に秘められた感知能力が何かを察知したかのように、突然にして、ニオイを発動させるのです。

                       

                      でも、こういった能力が昔からあるとはいえ、これを一体どのように使いこなせばいいんだろうか・・・。いまだによくわかりません Docomo_kao8

                       

                      このニオイの共感覚については、これとは別の体験談がいくつかあるので、いずれご紹介していきたいと思います。

                       


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                      【不思議体験記4】人魂を見る

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                        小学6年生の時、夏祭りで子供の盆太鼓を披露することになり、その練習が夕方から行われる予定だったため、友達数人と地区の集会所に集合していた。

                         

                        しかしその日は、太鼓を教えてくれるはずの地区の消防団の大人たちがなかなか姿を見せず、ずっと待っていた私たちはだんだんと飽きてしまい、じゃあすぐ近くにある神社に行ってかくれんぼでもやろう、ということになった。

                         

                        私は境内にあった石燈籠の後ろに隠れ、鬼が私のいる場所とは反対方向に行ったのを見てホッとしたのもつかの間、何気なくすぐ横を見ると、距離にして2〜3m離れた斜め上方に、なんと黄緑色に光っている丸い物体が浮かんでいるではないか。

                         

                        よく見るとそれは「人魂」だった!

                         

                        その人魂は、まず直径10僂曚匹隆櫃て少し黒っぽい球体の「核」とも言える部分があり、その核の周りは黄緑色(どちらかというと緑色に近い色)の光のようなものが、まるで炎に包まれて燃えているかのような感じで「核」全体を覆っていた。

                         

                        意外にもそれは、時代劇の幽霊屋敷などに出てくる人魂に非常によく似ており、ゆらゆらと揺れながら私の斜め上方を通過して頭上に上がっていき、境内にあった木の上までくるとフッと消え去ったのだ。

                         

                        この時に、周囲に友達はだれもおらず、私一人で石灯籠の後ろに隠れていたことに間違いない。

                         

                        ゆらゆら揺れながら上昇する人魂を私はずっと見つめていたのだが、その際になんとなくではあるが、人魂が私に向かって何かを語りかけていたような、そんな感覚が伝わってきた。

                         

                        人魂が現れてから消えるまでの時間は約1分程度だったが、不思議なことにその間は一切の恐怖を感じることは無かった。

                         

                        この出来事を、一緒にかくれんぼをしていた友達に言っても信じてもらえないと思ったので何も言わず、結局その日は盆太鼓の練習も中止となったため、みんな帰宅の途についた。

                         

                        その帰路の途中、私は「さっきのは一体何だったんだ⁉」という疑問と驚きで頭がいっぱいであり、暗い夜道をどうやって家まで帰ってきたのか、その記憶がないこともまた不思議なことであった。

                         

                         

                        【補足】

                        神社の境内で人魂を見た時のお話です。

                         

                        人魂というものは、これまでテレビの時代劇などでときおり登場するものであり、ただでさえ怖いイメージのある「幽霊」というものを、さらにそれを倍加させるほどの相関的な心象をもたらす存在だという認識を持っていました。

                         

                        しかし、私が体験したこの「人魂との遭遇」では、一切の恐怖を感じることなく、それどころか「私」と「人魂」という、二者間での心の対話とも言えるようなものがなされていた感覚さえあるのです。

                         

                        もちろんこれは、一体どのような対話がなされたのかを頭で理解できるものではなく、私自身の心がそのように理解したものであるため、実際に取り交わした内容については知る由もありません。

                         

                        さらに、これは後に判明したことなのですが、私が歴史文化関係の仕事をしていた頃、私自身が興味があって各地区の神社にある狛犬についても調査をしたことがあるのですが、その時に文献上で、今は亡き一人の有名な石工職人の名前が出てきました。

                         

                        この石工職人がつくった狛犬を一度見てみようと、数か所の現地に赴きました。

                         

                        そして不思議な巡り合わせと言えるのか、そのうちの現地の一つに、かつてあの時にかくれんぼをした神社も含まれていたのです。

                         

                        私「ああ、そういえば小学生の時に、ここの神社で人魂を見たんだったな・・・」

                         

                        と思い出し、私が隠れた石灯籠の後ろに刻まれている彫刻名を見た時のことです。

                         

                        ここで驚愕の事実が待っていました。


                        なんと、私が隠れたこの石灯籠をつくった人物こそが、今回の調査で調べている有名な石工職人その人だったのです!

                        (正確には石灯籠というよりは「御神燈」なのですが、とても立派なものです)

                         

                        なんだこの偶然はー!と心の中で絶叫しました(笑)。

                         

                        あの時に見た人魂は、まさかこの石工職人の魂だったのでは・・・そんな思いも心によぎるのです。

                         

                        これは余談ですが、あの時に人魂と心の対話をしたという内容ですが、もしかしたら私はこのように語りかけられていたのかもしれません。

                         

                        人魂「盆太鼓の練習をサボらずにしっかり頑張るんだぞ。

                           そして今年もまた、祭りのにぎわいで楽しませておくれ」

                         

                        ※現在では違う場所で盆踊りが開催されていますが、かつてはこの神社の境内で行われていました

                         

                        石工の名工として名を残した彼だからこそ、盆太鼓の練習をサボってかくれんぼをしていた私に、しっかりやれよと声をかけてくれたのかもしません。

                         

                        今でも、この立派な御神燈にはきっと彼の心が宿っていて、参拝に訪れる方たちを見守ってくれていることに違いないでしょう。

                         


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                        【不思議体験記3】交通事故に遭うも無傷

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                          私が小学生の時に、野球好きの父親と一緒に自転車で近くの小学校にキャッチボールをやりに行った時のことである。

                           

                          夕方になり日も暮れだし、暗くなってきたのでそろそろ帰ろうかということになった。

                           

                          その帰り道、自分は左右確認をしっかりせずに丁字路を勢いよく右折したところ、左側からきた車と衝突。その場に自転車ごと倒れて気を失う。

                           

                          数分後に気がついて目を開けると、顔から20僂曚匹龍甬離に車のタイヤがあり、この時に、

                           

                          私「ああ、自分は交通事故に遭ったのか・・・。この車がこれ以上進んで来たら顔を

                            ひかれてしまうので、そのまま止まっていてくれ・・・」

                           

                          と心の中で思っていたのを記憶している。

                           

                          それからゆっくり起き上がると、周囲の人たちが心配そうに近寄ってきて声をかけてくれ、特に怪我もなく平気だった。翌日に病院に行って検査をしたが異常無しだった。

                           

                           

                          【補足】

                          この事故は、私が左右確認を怠って交差点を右折したことが原因でした。

                           

                          私の少し前を自転車で走っていた父親に遅れないようにと、しっかり確認せずに交差点に進入した私は、車と衝突するその直前(距離にして1mちょっとぐらい)になってはじめて車が接近していることに気がつきましたが、どうすることもできず、そのまま衝突しました。

                           

                          しかしその時、車と自転車が接触した際に出る衝突音や金属音というものが、なぜか私の耳には聞こえず(きっと周囲には響き渡っていたことと思いますが)、まるで空気のような目に見えない「壁」や「層」のようなものがクッションとなり、衝突の際の衝撃を全く感じずに、そのまま道路へ倒れこみました(道路へ倒れた際の痛みすらも、何も感じませんでした)。

                           

                          この直後から、記憶が無くなっています。

                           

                          気を失った私は、周囲がざわついている声で気がつくと、すぐ目の前には事故を起こした車のタイヤが見えました。私の頭の部分だけが、車の下にもぐりこむような形で入っており、タイヤの溝までもがしっかりと見えるぐらいの近さにありました。

                           

                          そしてゆっくりと起き上がると、父親をはじめこの現場の様子を心配そうに見ていた人たちが声をかけてくれました。

                           

                          なぜか、結局最後までだれも救急車を呼んでくれなかったという、今にしてみれば、これもこれでハプニングだったよね?と思ってしまいますが(笑)、幸いにして意識もハッキリしており、体へのダメージもほとんどなく、衝突した自転車の一部が曲がっている程度でした。

                           

                          現場で事故処理が行われた後、家に帰ってきた私は、確かに普段と変わらない元気な様子ではありましたが、やはり体に何かあると大変だということで、翌日は学校を休み、病院で検査を受けてきました。

                           

                          結果は「異常無し」でした。

                           

                          交通事故に遭い、気を失ったものの無傷だったことは不幸中の幸いでしたが、逆に言えば「気を失うほどの衝撃」があったことも事実のため、場合によってはもっと大惨事になっていたかもしれません。

                           

                          あの見えない空気のクッションのようなものは一体何だったのか、いまだにわかりませんが、衝撃から私の身を守ってくれたことには間違いありません。

                           

                          見えないご加護をいただいたことに感謝いたします。

                           


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                          【不思議体験記2】体外離脱をする part

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                            《part,呂海舛蕁

                             

                            飯田史彦先生との共通点から気づいた魂の存在

                            この時の出来事は今でもよく覚えており、ときおり思い出しては不思議な体験だったなと振り返ることがある。

                             

                            なぜこのような不可解な出来事が起こったのか、理由もわからず解明もできず、ましてやだれにも相談できぬまま、長らく自分の心の中に留めてきた。

                             

                            しかし、この疑問がやっと解決できる時がきたのである。

                             

                            それは、元福島大学教授の飯田史彦先生が書いた『ツインソウル』の本がきっかけだった。

                             

                            飯田先生は脳内出血で倒れ、そして魂が肉体から抜け出て、そのまま光の次元に到達してまぶしく輝く光たちに出会い、その光たちから宇宙の真理を教わった方である。

                             

                            私は光の次元まで行くことは無かったが、先生の臨死体験の一部分が、私が体外離脱をした時の様子と全く同じであることにとても驚いてしまった。

                             

                            下記に、先生が体験した一部分を抜粋する。

                             

                            「(肉体から魂が抜け出た直後)その時の私は、まだ、物質世界ならではの

                            「時間」と「空間」の感覚で、自分という存在をとらえていました。

                            そこで私は、まず、いちばん近くにいるであろう、妻子のところに

                            「行って」みようと思ったのです。

                             

                            すると、その瞬間に、私は、自宅の一階リビングに存在していました。

                            それは、「行く」とか「移動する」といった、「時間」と「空間」

                            (あるいは「距離」)の感覚を伴ったものではなく、いわゆる「瞬間移動」

                            いった感覚とも違っていました。

                             

                            いわゆる「瞬間移動」というのは、「前の瞬間にはA地点におり、

                            その次の瞬間にはB地点にいる」という現象を意味しており、

                            やはり「時間」と「空間」(距離)の感覚を残した表現になります。

                             

                            しかし、私が経験した現象には、「瞬間」や「移動」という感覚さえも、

                            まったく無かったのです」

                             

                            (引用 飯田史彦著『ツインソウル 死にゆく私が体験した奇跡』 PHP出版)

                             

                            この文章から気づいたことがある。

                             

                            私が体外離脱をしたあの時に、このままこうしていたら何か大変なことになってしまうと思い始め、「早く元の状態に戻った方がいい」と考えた瞬間に肉体に戻っていたわけだが、厳密にいえば「瞬間」という言葉には、物質的な時間の概念が含まれており、現在から未来へ移行する際に、極めて短い時間間隔の中で起きる連続的事象のことを指す表現である。

                             

                            しかしながら、これはあくまでも物質世界特有の「直進的に進む時間軸」でのみ発生する事象であり、肉体から抜け出た魂の状態においては、この物質世界特有の時間的及び空間的事象からは完全に解き放たれる存在になるわけである。

                             

                            私が体外離脱をした時の様子を説明するのに、どうしても「瞬間」という表現を使わざるをえないのだが、改めてこの時の様子をよくよく思い返してみると、空中に浮いていたあの状態から、距離にしてわずか下方2m弱程度の近距離で寝ていた自分の体に牋榮悪したという感覚が全く無かったばかりか、自分の体に戻って行くという、犢圓の行為や感覚、感触さえも、何一つ感じることは無かったのである。

                             

                            この部分が、飯田先生が経験されたこととピタリと一致したのである。

                             

                            そしてこの時の私は、三次元物質世界特有の現象である「時間」や「空間」といった概念から、完全に解き放たれていた状態であったと言えるだろう。

                             

                            さらに、家庭用照明の常夜灯しか点いていない薄暗い部屋なのに、最初に目を開けると(魂の状態では目はないので、目を開けて見るという感覚)、そこには木目調がはっきりと見え、それが天井の木目だと瞬時にわかり、視線を下におろすと(これも人間の感覚で表すと、自分の位置から下方に目を向けるという感覚)、自分が布団に寝ているということがはっきりと「判断」できたのである。

                             

                            部屋が薄暗くてよく認識できなかったというような、あいまいな部分は何一つなかったと言っても過言ではないくらい、全てのことが直感的に、かつ瞬時にわかったのである。

                             

                            まさにこれが「自分がそう意識する」だけでそれが現実になるという、そして「あらゆる存在とつながっている」という魂の存在証明であるという考えに至ることができたのである。

                             

                            それともう一つ。これはふと感じたことだが、私が体外離脱をした直後に、「自分の周りが静寂に包まれているのに気づき・・・」と書いたが、この静寂さというのは、単純に「周囲に雑音が無く静かな環境」という、聴覚で聞こえるか・聞こえないかを判断するようなものではなく、音源という物質的要素を必要としない、「どこまでも限りなく続く無空間」にでも放り出されたような感覚があったことを覚えている。

                             

                            これが、いわば「宇宙意識」ともいえる、物質世界の領域を超越した、まさに宇宙そのものの存在と同化したためにこのような意識感覚に到達したのではないだろうか、とさえ思えてならないのである。

                             

                            自分が宇宙意識になるということは、まさに「宇宙と同化する」の意であり、宇宙空間にぽっかりと浮かぶ地球そのものを、まるで自分が丸々包み込めるような存在にでもなったのではないだろうか。

                             

                            そのため、あらゆるものが自分の「内」に存在することになり、もはやそこまで移動することも、そこに時間を費やすことも必要性が無くなり、「そこに意識を向ける」だけで、「あらゆる存在とつながる」ことができたのではないか、という考えに至っている。

                             


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                            【不思議体験記2】体外離脱をする part

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                              小学校低学年の時に、俗にいう「体外離脱現象」を経験したことがある。

                               

                              その時は風邪をひいて寝込んでおり、熱が39度ほどはあったと思われる。部屋の明かりは、家庭用照明の常夜灯(小さな電球)だけが点いており、薄暗い状態だった。

                               

                              かなりの高熱のせいか、目をつぶると頭の中で、不規則な配列を組んだ数字(一桁のものもあれば二桁、三桁など)がめまぐるしく回っており、数えようにも数えきれないほどの多くの数字で頭の中が埋め尽くされていた。

                               

                              この数字を1から順番に整理しようとイメージしたが、どうにも手が付けられず、ひどく苦痛を感じ始めたので、私は心の中で「もういやだ!」と、大きく叫んだ。

                               

                              すると次の瞬間、あれほど頭の中にたくさんあった数字が全て消えてしまい、さっきまでの苦痛も、そして体の熱っぽさも、全く感じなくなっていたのである。

                               

                              そして、自分の周りが静寂に包まれているのに気づき、ゆっくりと目を開けてみると、初めに見えたのは木目調の木の板だった。

                               

                              私「あれ、こんなところに木目調のものがあったかな?」

                               

                              と思ったとたん、今見ているものは部屋の天井であり、その天井に使用されていた木の木目であることがわかった。私の頭のすぐそばには天井があったため、もう少しで頭がぶつかりそうだ、とこの時に感じていたことを今でも覚えている。

                               

                              そして、そのまま目線を下に向けた時、さらなる驚きが待ち受けていた。

                               

                              私「・・・自分が寝ている!!」

                               

                              自分は今、なぜこうして空中に浮いているのだろうか。なぜ自分の真下にも、もう一人の自分がいるのだろうか・・・。

                               

                              そして、空中に浮いている自分の体から、下に寝ているもう一人の自分に向かって、なにやら白っぽい、半透明のヒモ?のようなものがうっすらと伸びて繋がっているようにも見えた。

                              (このヒモのようなものが一体何かは、この時にはあまり気にしなかったのだが、おそらくこれは霊子線(シルバーコード)と言われるものだろうと思われる)

                               

                              この状態のまま少し様子を見ていたが(この出来事に対して唖然として、何をしていいかわからなかったという感じ)、小学校低学年の私にとってはこのような奇妙な感覚は到底理解できず、「このままこうしていたら、何か大変なことになってしまう」と思い始め、「早く元の状態に戻った方がいい」という考えになった。

                               

                              そしてそう思った次の瞬間、空中に浮いていたという感覚から一転して、急に体に重苦しさや暑苦しさを感じるようになった。

                               

                              ひどく苦痛を感じていたさっきまでのあの感覚が、再びよみがえってきたのである。

                               

                              《Part△紡海》

                               


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                              【不思議体験記1】5歳で霊の存在を知る

                              0

                                私が5歳の時に祖父が亡くなったが、その数日後のことだった。

                                 

                                夜寝ていた時にふと目覚めると、廊下の奥から何やらうめき声が聞こえてきた。

                                「なんだろう?」と思い耳をすませると、その声はなんと死んだはずのおじいちゃんの声であることがわかった。低いうめき声をあげながら、ゆっくりと廊下を歩いているようだった。

                                 

                                私「え⁉なんでおじいちゃんが・・・」

                                 

                                私の家は、南側の玄関から北側にあるトイレまで廊下がまっすぐにのびており、どうやらおじいちゃんは北側のトイレの方向から玄関に向かって歩いてきているようだった。

                                 

                                南側の玄関の、しかも廊下側に一番近い場所で寝ていた私は、おじいちゃんの声がよく聞こえたのだ。

                                 

                                この時は、両親と共に同じ部屋で一緒に寝ていたが、親はこのことに全く気付いておらず、スヤスヤと眠っていた。

                                 

                                普通は廊下を歩けば、歩調に合わせて歩行音や床がきしむ音が聞こえてくるが、この時はこういった音は聞こえず、うめき声だけがだんだんと大きく、そしてゆっくりと近づいてきたのだった。

                                 

                                布団に入っていたので実際にその姿を見たわけではなかったが、廊下を歩きわたって玄関まで来た時に、その声は静かに消え去った。

                                 

                                私「・・・あぁ、おじいちゃん、行っちゃったんだ・・・」

                                 

                                それはおじいちゃんの、私たち家族との最後のお別れの瞬間だったのだろうと、今でもそう思っている。

                                 

                                霊という存在を始めて知ったのがこの時だった。

                                 


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