【不思議体験記19】夢に現れた黒猫が、まさかの…

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    これは今から5年前の11月、もうすぐ師走が迫ってくる時期の出来事である。

     

    本屋で立ち読みをすることが私の趣味の1つであるが(笑)、この日にふと目に入ったのが、自称霊感漫画家のIさんが描いた本だった。

     

    Iさんは子供のころから霊的体質で、これまでにも多くの霊を見てきた実体験を、自分に見立てた可愛らしい女の子として漫画に登場させて、その時の霊の実際のやりとりを描いたものである。ある意味では「こわい、けどおもしろい」的なコミックでもある。私は立ち読みで1巻全部を読破してしまい、それでは飽き足らずにその続編をネットで注文したほど、その世界観に魅了されてしまった。

     

    ネットで注文した本が届いたので、軽くドライブがてらに、これを持ってファミレスでコーヒーを飲みながら読んでいた時のことだった。


    読み始めてからどのぐらいの時間が経ったのかも忘れてしまうほど集中していたが、気がつくとあまりのリアルな内容に、悪い意味で心が感化されてしまい、私の脳が(魂が?)拒否反応を起こしてしまった。気分が悪く、頭がボーっとする。しばらくすると、かなりの眠気も襲ってきたため、会計を済ませて店を出て、車の中で軽く目を閉じるといつの間にか眠ってしまったのだ。眠ったとはいえ、その時間は5分程度だったのだが、そのわずかな時間に夢を見た。


    その夢というのが、自分の部屋のテレビの前に黒猫が1匹いるという、静止画像を見ているような一瞬のものであり、あまりいい印象を受けなかった。目覚めた後も頭はボーっとしていたが、なんとか運転はできるだろうと思い、すぐに帰路についた。


    運転中も少し熱っぽさがあり、さらに後方の車がなぜかスピードをあげて私の車に迫ってくるかのような危機感も感じたため、これはちょっとマズイなと思い、国道よりも交通量が少ない旧道へと逸れてゆっくり運転した。

     

    この旧道は、結局は先ほどの国道と合流するのだが、合流する少し手前には神社がある。まだ体は霊波動の感化状態にあり、ひどい体調不良が続いていたが、そのままこの神社の前を通過した時の出来事だった。

     

    私「……‼あれ、治った。体が何ともない。なんで?なんで⁉」

     

    一体何が起きたのだろうか。あれだけボーッとしていた頭が急にスッキリし、体も明らかに軽くなったではないか!

     

    驚きながらも国道に合流し、そのまま難なく家に到着した。車を降りて部屋に向かったが、そこで思い出したのは、さっき見た夢の内容である。夢では、私の部屋にあるテレビの前に黒猫が1匹いたのだが、まさか本当に黒猫がいたら怖いなと正直思いながらも部屋の前まで来た。

     

    私の家では猫は飼っておらず、当然ながら黒猫などいようはずもない。とはいえ、これまでにまさかと思えるような出来事を幼少期から幾度も経験していると、そのまさかが本当にあるかもしれない…という一抹の不安がよぎるということは、これは一種の職業病(いや、霊体験病か?)とでも言うのだろうか(笑)。

     

    自分の部屋なのに、おそるおそる入ることになろうとは思いもよらなかったが、意を決して部屋に入ってみると……

     

    もちろん黒猫はいなかった。そうだよな、いるはずがないよなと当たり前のようではあるが、本当にそんな現実が起きなかったことに対して安心できた。

     

    ●つかの間の安心…実際に部屋にいたのはなんと

    ところが、である。私の現実は、そんな簡単な事では終わらなかったのである。

     

    ホッと思いながらも荷物を置いた時のことだった。一体どこから出てきたのだろうか、11月ももうすぐ終わりだというこの季節になんと床には1匹のゴキブリがいるではないか!

     

    私「うわ、ゴキブリ⁉なんでこんなところに?」

     

    よく見るとそのゴキブリは、機敏な動きが全くなく、寒さのせいなのかヨロヨロと足取りも重く、右に行ったり左に行ったりと方向感覚もままならない様子だった。まあ、その後はティッシュにくるまれてゴミ箱行きとなった。

     

    夢に出てきた黒猫が、まさかのゴキブリとなって現れるとは思ってもみないことであった。

     

    ●旧道沿いにある神社の神様が霊障を祓ってくれたのだろうか

    またこれはふと感じたことだが、旧道沿いにある神社の前を通過した時になぜか頭と体が急に軽くなったが、ここを通過したことによって何かの悪い作用があそこで落とされ、結果的には黒猫よりも小さなゴキブリ程度の軽い作用?で済んだのではないか、とも思えた。

     

    ここ最近は、ゴキブリどころか虫1匹の気配もなかった部屋なのに、しかもなぜあの日あの時のタイミングで計ったように出てきたのか、全くもって謎である。

     

    なお後日、この神社の前を車で再度通過してみた。ここの神社、というよりも、この旧道はもう何十年も前から頻繁に通る道なのだが、これまでに一度もこの神社にお参りに行ったことはなく、ましてや名前すらも知らなかったほどである。神社の名前を見てみると、「熊野神社」とあった。

     

    私「え⁉、熊野神社⁉、ここでも熊野が関係しているのか…」

     

    以前に掲載した記事に、私の名前のアナグラムにも「熊野」に関する語句が成り立っていたことを書いたが(その記事はこちら)、やはり熊野様は私にとって何かゆかりがあるのかもしれない。

     

     

    【補足】

    いや〜、あの時はほんとに危険な状態だったなと、改めてそう思います。

     

    この本は、著者であるIさんの「霊現象の実体験」という、霊体験の経験を持つ私と類似する部分があり、それをマンガとして描いた内容と世界観に共感しながら面白く読み進めていましたが、ふと気がついた瞬間(現実世界に意識を戻した時)に、なぜか自分の心だけが、本の中に取り残されてしまったかのような錯覚を覚えました。

     

    なんと言いますか、肉体はファミレスでコーヒーを飲んでいる自分がいるのですが、心だけが「おいてきぼり」を食らったかのようで、自分の中に戻らずに「本」の中身にとらわれてしまっていたのです。

     

    そして気分が悪くなり、その後に突然の眠気…。これは私の経験上、注意しなければならない状況、などということをはるかに超えて、危険な状況であると言わざるを得ません。

     

    低波動の「霊」といわれる存在に(例え本の内容であろうとも)感化してしまうと、肉体的に嫌悪感が生じますが、さらにそこで「低波動の霊障による眠気」が襲ってくると、これはかなり危険です。正常な顕在意識が保てないほど、霊に感化してしまっている証拠であり、顕在意識が薄れることによって霊が自分に憑依する場合があるからです。

     

    突然の眠気によって、わずか5分程度ではありましたが眠りに落ちたところ、自分の部屋に黒猫が1匹出てきた夢を見ました。

     

    ただでさえ気分が悪いのに、黒猫が出てくる静止画のような夢などは、さらに気がめいってしまうようなものですが、とにかく早く家に帰ろうと思って車を走らせました。が、はっきり言ってこの行為も危険をともないます。

     

    幸いにも、事故を起こすことはありませんでしたが、目覚めた直後で頭がボーっとしており、なおかつまだ低波動の霊に感化している状態で車を運転するなどという行為は、冷静な判断力に欠けていたと言わざるをえません。

     

    いつ事故が起きてもおかしくはない状況でしたが、しかしそんな私を救ってくださる存在がいたのです。それが熊野の神様だったのです。

     

    あれは本当に一瞬の出来事だったのですが、神社の前を車で通過した瞬間、体の嫌悪感や頭のボーっとした感じが一切無くなりましたからね。「…いま、何が起きたの?」と、正直驚いたぐらいでした。

     

    この熊野神社は道路沿いにあり、道路からほんの少し離れたところに狛犬が2体います。この2体の狛犬は、前方を通過する車を一台一台見ている、と言ってもいいような絶妙な位置に配置されています。

     

    もしかしたら、神の波動域が道路の走行車線にまで広がっており、そのためそこを走っただけで神社の高波動に無意識に触れたことにより、低波動の霊障が祓い落とされたのではないかと、自分なりに解釈しております。

     

    今でも、この熊野神社の前を車で通過するたびに、最初に目に入る狛犬に「こんにちは!」と、心の中でいつも挨拶をしています。たまに声に出しても挨拶をしています(え、挨拶?ほんとに?と思われたかもしれませんが、本当です(笑))。

     

    熊野様、あの時は本当にありがとうございました。そしてこれからも、この道路をいつも通らせていただきたいと思います うふ

     


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    【印象的な夢4】巨大な「にしき鯉」 現る

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      大森さんのブログ「大森和代のWATARASEまっせ‼」には、全国各地で開催された講演会の内容をはじめ、ファンへのメッセージやブログに投稿されたコメントに対してのアドバイスなどが掲載されている。

       

      その他にも、いろいろな場所で撮影した写真が数多くアップされており、部屋に突然現れた虹や不思議な形の月、キッチンに現れた謎の光、何かを意味するかのように海に沈む変わった形の夕日など、その写真には驚きの連続である。

       

      その中でも神秘的だと思ったものは、ずばり「イエスキリスト」が写っているという写真である。

       

      大森さんによると、滝を眺めながら森林浴をしつつ、露天風呂に1人で入っていると、目の前の滝が紫色に変化したので、もしかしたら神様のような存在が現れるのではないか…と予感をしていたら、それがイエスキリストであり、慌てて脱衣所まで携帯を取りに行って撮影をしたそうだ。その時に「早く撮りなさい」という声も聞こえたという。

       

      正直、信じがたい話ではあるが、その撮影した写真を見てみると、滝から水が流れ落ちる部分が確かに紫色(紫色は高貴な存在の象徴とも言われている)になっており、その中にはロングヘアーをした人物像のようなものが見え、その面影からは文献などによく描かれているイエスキリストの姿にも似ている様子をうかがうことができる。

       

      さらには、そのキリスト像が写っている周囲の木々や岩場にも目を配ると、その一部が顔の形のようなものが写っている箇所も見受けられる。写真に顔が写っているとなると、よもや心霊写真ではないかというイメージがあるが、しかしこの画像はそういう怖い印象ではなく、よく仏像彫刻や神仏を描いた掛け軸などで見られる、不動明王などの仏法守護神などとして描かれている顔にとてもよく似ていることにもまた驚くものがある。

       

      ◎「♪屋根よ〜り〜た〜か〜い〜こいの〜ぼ〜り〜」をはるかに越える

      このような印象深い画像を見たことが影響したのだろうか、その日の夜、これまた印象に残るような迫力ある夢を見たのだった。

       

      それは、今まで想像もしたことが無いほどの、とてつもなく巨大な爐砲靴鯉が現れた夢だった。

       

      その大きさはどのぐらいだったかというと、おおよその感覚として東京ドームまでの大きさはなかったと思うが、だいたいその約半分ぐらいはあるだろうというほどのもので、堂々とたくましい姿で悠々と元気に大空を泳いでおり、私の斜め上空まで来ると大きな身をぐるっと丸めて、こちらを静かに見つめていた。

       

      夢の中の登場人物は、私とその家族、あとは見知らぬだれかが数人いたが、その巨大なにしき鯉を見てみんな非常に驚いている。私は手にカメラを持っていたが、なぜか「このにしき鯉を写真に撮るのは難しいことだ」ということが頭の中に浮かんでいた。

       

      しかし、思い切って撮影してみようと意を決し、カメラを向けてシャッターを切ったところ、そのにしき鯉を写真に収めることに成功してとても喜んでいた、という内容だった。

       

      にしき鯉の夢はどういった意味があるのかを夢辞典で調べてみると、幸運の象徴や立身出世、女性が見れば妊娠の可能性ありなど、全体的に吉兆を表すそうである。

       

      大森さんが撮影したキリストの画像を見たことが吉兆の夢につながったのだろうか。もしかしたら、偉大なる神の力が私にも恵みを与えて下さったのかもしれない。

       

       

      【補足】

      それはそれは、巨大すぎるほどのにしき鯉が夢に現れました。

       

      大空を悠々と、そしてたくましい姿で泳いでいたにしき鯉は、私たちが見ていることに気がついたのか、泳ぎをやめて尾を体の方に曲げるような形をとり、静かにこちらを見ていました。

       

      私は、驚きのあまり声も出ませんでしたが、にしき鯉は精悍なまなざし(結構イケメンでした(笑))でこちらを見ており、心で何かを伝えられたような感じも伝わってきました。

       

      夢の中で、「このにしき鯉を写真に収めることが難しい」と、なぜそんなふうに思ったのかはわかりませんが、実は少し不安がよぎりました。それは、撮影した直後に、このにしき鯉が消えて無くなってしまうのではないか、ということが頭に浮かんだからです。こんな大きなにしき鯉が、消えて無くなってしまうことなどは普通は考えられませんが、こういう心に潜む心理的な不安というものが、日常の中においても私がどこかで不安材料を抱えている心理状況を表しているのかもしれません。

       

      人生の中で、困難な壁に立ち向かうべき出来事に対して、実はどこかで不安を抱え、消極的になってしまう…。はい、正直これは、心当たりがあります。ときおり、そのようなことがあります。にしき鯉は、そんな私の見え隠れする不安な心を、しっかりと見抜いていたのかもしれません。

       

      そういう意味では、この夢が犁斑のサインをも表しているならば、これから先の人生の中で自分にとって大きな得(あるいは徳)となるものを手にする機会がせっかく巡ってきているというのに、「お前は不安な気持ちに負けて、挑戦せずにやめるのか?」と、にしき鯉に言われているかのように解釈できるのかもしれません。

       

      それでも私は不安がありましたが、意を決して手にしていたカメラで思い切って撮影をしてみると、見事にカメラに収めることができて大喜びをしていました。「やればできるんだ!」と、そんな思いがこみ上げてきたのです。

       

      「もっとチャレンジ精神を強く持ちなさい。必ず実現できるから」

       

      そんな、勇気がわき起こる心強いメッセージを、にしき鯉から伝えられたような夢でした どこも

       


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      雲の上に子供がいるって本当だったんですね

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        「あのね、ぼくね、生まれて来る前にね、雲の上からお外を見てたんだよ。そしてね、ママを見つけたんだよ」

         

        「ママを?へぇ〜、どうしてママを選んで生まれてきたの?」

         

        「それはね、ママがとってもやさしそうな人だったからだよ」

         

        この会話は一例に過ぎませんが、幼い子供がある日突然、生まれて来る前の記憶を話し出すという生前記憶。私は個人的にこの分野にも興味を持っており、それのみならず、退行催眠によって被験者が語る過去世の記憶や、友人・知人たちとのソウルメイト同士の魂のつながりなどについても独自で見聞を広めています。

         

        これから地上に生を受ける予定の子供の魂が、雲の上から地上をのぞき見る…そんなお話に合うかのように、おもしろい写真が撮れましたのでご紹介いたします。

         

        その日も、自宅の庭に出て、何気なく上空を見ていた時のことです。

         

        そうしましたら、風が強かったのもありますが、私が見ていた部分の雲がどんどん形を変えて、人の顔のようになっていくではありませんか。

         

        私「…ん⁉あ、あれ、あの雲の上……こっちを見てる!」

         

        あわてて部屋に戻ってデジカメを手に取り、急いで先ほどの場所に戻って撮影したのが下の写真です↓

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        よく見ると、大きな目でこちらをじーっと見ているようであり、ちょこんとした鼻、そして小さな口を丸めて突き出しているかのようにも見え、まるで赤ちゃんや子供を思わせる顔が現れたではありませんか。

         

        雲の上からの眺めはどんな気分なのか、ぜひ聞いてみたいですね ちゅん

         


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        【不思議体験記18】3・11の大地震を全く感じなかった

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          言わずと知れた東日本大震災の当日、私は仕事で上司と共に福島の会津地方にでかける用件があり、朝の7:30分に事務所を出発した。

           

          会津の中でも「奥会津」といわれる場所で、高速道路を使って約3時間ほどかかって取引先に到着した。事務的な業務を一通り終えた後に昼食をとり、午後からも一部の業務をこなしてから次の取引先へと向かうことになった。その時の時間が午後2時ごろであった。

           

          途中、いくつかのトンネルを抜け、上司とも談笑しながら取引先に到着したのが午後3時30分ごろだった。ここに来てまず思ったのは、普段ではあまり見ることがないぐらいの数多くの車が、駐車場はおろかその横に続く細い路地裏にもズラリと停車しており、ようやく道路の片隅に1台停められるスペースをみつけられたほどだった。

           

          私「あれ(いつもはこんなに混んでいないのに)、今日は何かあったのかな?」

           

          と思いながら建物に入ると、大勢の来客でごった返しており、受付に顔を出すとそこには焦りをにじませた女性職員が私たちの対応にあたった。

           

           私  「こんにちは。(様子をうかがいながら)…何かあったんですか?」
          職員「えぇ⁉ 今どこから来たんですか?地震があったことを知らないんですか?」
           私  「(上司の顔を見ながら)…地震ですか?……いや、わからなかったですね」
          職員「えぇー⁉ あ、あのテレビを観てください!」

           

          と言われたので、上司と一緒に振り返ってみると、そこには今まさに漁港に津波が押し寄せている映像が流れているではないか!私と上司は驚きのあまり声も出なかったが、これはただならぬ事態が発生していることを理解し、急きょ打ち合わせをキャンセルして事務所に戻ることにした。

           

          帰り道は大渋滞、当然ながら高速道路は通行止め、頻発する余震のたびに車が左右に揺れながらも何とか事務所にたどりついたのが午後9時だった。

           

          事務所内は、キャビネットが倒れて書類が散乱、机の上のパソコンは転げ落ち、祀ってあった神棚は落下して無残にも倒壊していた。同僚たちの携帯に60回ぐらい入電を試みたが、全くつながらない。安否が気になる。だが、何とか今は自分ができることをやろうと思い、最低限の身の回りを整理してから事務所を後にしたのだった。

           

          この大地震では、幸いにも私たちがいた会津地方は比較的被害が少なくて済んだ。地震が発生した午後2時46分という時刻はおそらく、いくつかあるトンネル地帯を走行中だったかもしれない。もしかしたらこの地域は地盤が強かったのだろうかとも思ったが、とはいえ、あれだけの大きな揺れであったため少しぐらいの振動は感じてもいいと思うのだが、運転していた私はもとより、同乗していた上司でさえも全く揺れ一つ感じることなく、平常に走行していたとは不思議でならないことである。

           

          上司との会話が偶然にも地震を予言か
          そしてもう1つ。実は、この地震がくることをまるで予言していたかのような会話を、偶然にもこの上司と交わしていた事実もあることをここに記述する。

           

          それは、震災の3日前の3月8日(火)のことである。この日も私は上司と会津に来ており、一通りの用件が済んだので事務所に帰る途中のトンネルを走行中のことだった。

           

          その上司が急に「しかしこの辺はトンネルが多いねぇ。もしここを走っている時に地震でもきたら、潰れて助からないよな?」と言いだした。私も「そうですね、トンネルの崩落事故で亡くなった方もいますからね。さすがに地震が来てトンネルが崩れたら、もう無理でしょうね」と答えていたのだ。まさかその3日後に本当に大地震がくるとはこの時だれが予想するだろうか。なぜ私たちが、あのタイミングであのような会話になったのかはいまだにわからないことである。

           

          多くの犠牲者を出し、そして多くの人たちが大地震に恐怖したあの瞬間、場合によっては危険地帯と言ってもいい場所を走行していた私たちは、不思議なことにその揺れを全く感じることなく、そして幸いにもトンネルが崩れ落ちることもなく、無事に帰還できた奇跡に、感謝したい。
           

           

          【補足】

          あの東日本大震災から7年半が経過いたしましたが、いまだに記憶の中には当時の様子が目に浮かんできます。また、ここ数年の間でも大きな地震が各地で発生しております。被災された皆さま方の心痛をお察しするとともに、1日も早い復旧を願っております。

           

          ※「どうして今頃に大震災の話なの?」と思われたかもしれませんが、私がこれまでに

          体験してきた不思議な出来事(幼少期〜2017年までのもの)を綴った『不思議体験記』

          から、順番にブログに転載しておりますので、「その順番通りに掲載してきたら今回が

          大震災の話となった」だけのことです 顔 )

           

          生まれも育ちも福島の私は、まさか自分の故郷が、世界から風評的な見地で注目を浴びてしまうような、あのような大惨事に見舞われることになろうとは、想像の片隅にも考えたことが無い事態でした。

           

          周囲の方々の中には、主に自主避難をされる方が多くおり、私たち家族も一時は自主避難を検討しましたが、しかし当時の私は現場管理の仕事に携わっていたため、自分が避難するよりもまずは現場で働く社員たちの安否確認を優先で行いました。

           

          しかしながら、ほとんど電話がつながらず、車で移動するにもガソリンスタンドが全域で閉鎖しているために長距離が移動できず、コンビニやスーパーにも食料や物資の供給がほとんどされていない状況でした(お酒が大量に売れ残っていたことが印象深いです)。

           

          原発事故にともなって避難を余儀なくされた社員たちが数十人おりました。まずは何よりもみんな無事であってほしいという思いで、社員一人一人の安否確認を取るために電話をかけましたが、とにかくつながりません。携帯電話ではほぼ無理でした(ただし携帯電話ではなく、固定電話からなら少しつながりやすかったです)。

           

          さらにその社員たちが一体どこの区域に避難をしたのか、所在確認すらも思うようにできなかった現状がありました(最終的には全員の無事が確認できてホッとしました)。

           

          福島県内の各地域の震度は、5弱〜6強などがありましたが、当日に私たちがいた会津地方の一部では震度4のところもありました。こうして見比べると、震度4という数字が低く見えてしまい、それほど大きな揺れではないだろうと思ってしまいがちですが、そのようなことは全然ありません。体感的に言えば、それなりに大きいと感じる地震です。

           

          例えば、当日に私たちがいた地域が震度4だったとした場合、それであっても大きいと感じる地震なわけでありますから、いかに車で走行中とはいえ、私も上司もそれらの揺れを全く感じなかったなどという、そんなおかしなことは普通は絶対に起こらないはずなのですが…。

           

          さらには、地震発生の時間帯はいくつものトンネル地帯(山間部)を走行していた時間帯だったと思われますので、場合により崩落の危険性もありましたが、特に異常は見当たらず、運転に支障をきたすこともなく、まさかそんな大地震が起こっていることなどみじんも感じることもなく、上司と談笑しながら取引先へと向かっていたことに、後から知って心底驚きました。

           

          観測史上最大規模の地震を、その身に全く感じなかったという、今をもっても謎の1つではありますが、あの状況で当然のごとく考えられる物理的な事象が、爐覆爾私たちには一切感じることが無かったという事実をとらえてみると、もはやこれは物理的なものではない、見えざるご加護が働いたのではないか、としか考えようがないのです。

           

          そのことを胸に秘め、いただいた奇跡に感謝をするとともに、亡くなられた多くの方々に、改めてここに黙とうを捧げたいと思います お願い

           


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          レムリアの民たちへ

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            はるかかなたのいにしえに
            この地のどこかに息づいた
            叡智を秘めた

            古代の民たちよ

             

            いまは無きその面影に
            遠い記憶を探り出し

            思いをそっと重ねてみる

             

            あなたたちは

            地の鼓動を感じ
            水の清さを身に沁みこませ
            火の猛々しさで害を焼き払い
            風の便りで万象を察知し
            空の果てなき無限大の広さに
            祈りを捧げて感謝する

             

            あなたたちは

             

            今日まで

            人類が脈々と受け継いできた

            魂の絆と

            その絆を育んできた

            大いなる礎としての
            崇高な父と母であることに

            間違いはないだろう

             

            声なき姿なき今の世においても
            夢のごとく散った運命ではあろうとも
            父と母の面影が
            実は我々の記憶の底に
            永遠に消えることのない証となって
            深く刻まれていることに

            間違いはないだろう

             

            我々は

            あなたがたの子であることを

            誇りに思おう

             

            そしてこれからも

            その魂の絆を受け継いでいくことを
            ここに誓おう

             

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            雲龍さん、さすがですねその迫力

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              私がよく行くお気に入りの公園。そこには芝生が広がっているんですが、天気のいい日にそこの上を歩くのがとても気持ちがいいんです。

               

              その日も天気が良かったので公園に出かけて、芝生の所へ行ってみると…

               

                私「うわ、これは…すごいデカい龍の顔だな〜」

               

              と、見た瞬間にその凄さに圧倒されたほど、迫力ある雲龍が上空に出ていました。

              その写真がこちらです↓

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              雲龍さんからは「お前が来るのは知っていたぞ」みたいな感じで声をかけられた気分でした。

               

              そういえば、以前の記事でも、正月の夕暮れ時に公園を散歩中(この時もここと同じ公園です)、それはそれは迫力ある雲龍が上空に現れたことを掲載しましたが(その記事はこちら)、今回の雲龍さんもあの時と同じぐらいの凄さがありました。

               

              あ、もしかして、あの時と同じ雲龍……⁉

               

              いつも私の身近に存在してくれているあなたに感謝です 顔

               


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              【講演会2】大森和代さん−WATARASE− part

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                part,呂海舛

                 

                ※前回のあらすじ

                スピリチュアルカウンセラーの大森和代さんの講演会当日、予想外の体調不良に見舞われてしまったのでキャンセルしようかと迷ったが、なぜかどうしても行きたい気持ちもあったため、かなり無理をしたが会場へと向かうことにした。体が重くて歩くのもしんどく、かなり険しい道のりと感じたが、何とか会場に無事到着。そしていよいよ待ちに待った講演会がスタートしたのだが…そこで奇妙なことが待ち受けていたのであった。

                 

                ◎奇妙な現象が発生
                講演の内容は、「奇跡の講演会」と銘打った日像さんのトークがメインであり、その中で神から授かった言葉を我々に伝える役目が大森さんといった印象を受けた。

                 

                奇妙な現象が起こったのは、そのトークの最中だった。

                 

                私の座席は会場の中ほどにあり、すぐ横が通路になっていて壇上の2人の席までまっすぐに通じていた。初めは気にならなかったのだが、まるでその通路をだれかが通っているかのように、私の横を風がスーッと吹き抜ける。またしばらくするとスーッと…。

                 

                もちろん誰も通ってはいない。講演中に席を立つ者も誰もいない。天井のエアコンか?と思って風の軌道を眺めていたが、そうでもない。

                 

                この現象は一体何なんだ?と思いながら講演を聴いていると、大森さんが「今日は、震災で亡くなられた方々が、この会場にも大勢やってきています。多くの方が来ています。でも安心してください。皆さんには何の影響もありませんから」と言うではないか。私は霊を見ることはできないのでわからなかったが、まさかあの風は、霊が私の横を通った風だったのか?しかし、全く恐怖を感じることもなかった。本当に何だったのだろうか。今でも謎である。

                 

                ◎突然、神からのメッセージ。気がつくと体調が回復
                そして大森さんが突然、このように語り出した。

                 

                「……みなさん、いま、メッセージが届きました。

                 今日の予定にはありませんでしたが、これから

                 特別に霊を切ります」と。

                 

                会場が一瞬ざわめいた。私は何のことだかわからない。知る人ぞ知ることのようだが、霊を切る?…つまり除霊ということなのだろうか?

                 

                話によると、この「霊を切る」という意味は、自分に憑いている悪い霊をはじめ、身近にいる地縛霊や浮遊霊などを、高次元の偉大なるエネルギーによってその御霊を成仏させるというものだった。しかも霊を切るのは、神からのメッセージが届いた時のみだけであり、全ての講演会で行われるとは限らないため、参加しても「切ってもらえなかった」ということがあるのだという。参加者たちは、この「霊を切ってもらう」ということも、講演会に参加する大きな目的の1つなのである。

                 

                今回の福島講演で、突然のメッセージにより、予定になかった「霊を切る」ことをやってもらえるとは思いもしなかった。会場がざわつくわけである。そして、参加者全員が特別に霊を切ってもらっている間、なぜか会場内の空気がとても清々しく感じられた。

                 

                さらに気がついてみると、あれほど最悪の体調だったのが嘘のように何ともないではないか!体の重さも、胃痛、胸やけ、吐き気まで、すでにこの時には全く無くなっていたのだった。

                 

                ◎次元の違う存在はその日に何が起こるか知っている⁉
                この「霊を切る」ことについて、後日ふと思い浮かんだことがあるのだが、普段ではあれほどひどく体調を崩すことはあまりない私が、確かに寝不足などの要因もあったが、あの日に限ってかなりひどい体調不良だったことを考えると、例えば成仏できない霊的な存在たちがいたとして、私がこの日に講演会に行くことをこの霊たちが事前に知っており、しかも「霊を切ってもらう」(成仏させてもらう)ことになる、ということまでも知っており、講演会当日にこの霊たちが私の体に取り憑いて、一緒に会場まで来たのではないか?などと思えたのである。

                 

                というのも、体調不良と重なって、家から駅まで歩いていく最中に狙い撃ちするかのような突然の土砂降りに見舞われたが、実はある意味で、この雨には「禊(みそぎ)」の意味があり、この時点ですでに私の体に憑いていた霊たちを浄化するために、私をサポートしてくださっている存在が雨を降らせたのではないのか…という1つの見方が思いついたからである。

                 

                しかしそれでも浄化しきれず、あまりの苦痛に講演会をキャンセルしようとまで考えたが、それでもなぜか行きたいという思いがあったのは、もしかしたらその霊たちが「何とか講演会場まで連れて行ってくれ〜」という懇願を私に向けて発しており、それを私の心が(魂が)察知していたことにより、無理をしてでも何とか参加しようという思いがわき起こったのかもしれない。

                 

                そして講演中に霊を切ってもらったことにより、気がつくと体調が悪化するどころか、嘘のように回復したという理由も、日像さんと大森さんの波動によって私の体から霊たちが成仏していったために楽になったのではないだろうか。

                 

                果たしてどんな関係があったのかはわからないことだが、何にせよ、体調不良で途中退席とならずに済んだだけ良かったことである。

                 

                ◎名前のアナグラムにあったあの言葉がここでも…
                こうして、約4時間ほどの講演会が終了した。会場の後方には、無料の飲料水コーナーが設けられており、1本のミネラルウォーターを手にとってみると、そこには「熊野古道水」と書かれていた。その名はどこかで聞いたことはあるが、あまり詳しく知らなかったため調べてみると、熊野古道とは熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へと通じる参詣道の総称であり、別名「蟻の熊野詣」と例えられるほど、人々が引きも切らさず参拝したことが伝えられているという。

                 

                また、「全ての道は熊野本宮に通ずる」とも言われており、参詣道として代表的なものが紀伊半島を西回りする「紀伊路」と、東回りの「伊勢路」である。

                 

                紀伊路は、平安中期から鎌倉期にかけて行われた法皇や上皇らの御幸ルートであり、道筋には熊野権現の末社として九十九王子社が祀られていた。一方、江戸時代以降に盛んに歩かれるようになった伊勢路は、伊勢参宮を終えた旅人や、西国三十三カ所めぐりの巡礼者が辿った道である。

                 

                なお、「紀伊山地の霊場と参詣道」として平成16年に世界遺産に登録されている。

                 

                そういえば、自分の名前のアナグラム(その記事はこちら)の中にも、「熊野」に関する語句が成り立っていたな!と思い、1本のミネラルウォーターからシンクロ現象が起きようとは思いもよらなかった。もしかしたらこの熊野という地も、自分にとって何か意味するものがあるのかもしれない。

                 

                さて話は戻って、講演終了後の壇上前では日像さんが参加者の体に高次元のパワーを送り、その横では大森さんの握手会、さらには最新刊の自著本にサインをして、それを1人1冊ずつプレゼントしてくれたのだ。

                 

                特に大森さんの握手会では、念のために持ってきていたサイン色紙(こういう準備は大変よろしい)にあつかましくもサインをお願いしたところ、こころよく了解して下さり、大変記念になる1枚を手にすることができた。どうやら自著本にサインをもらったうえ、さらに色紙を差し出してサインをお願いするという要領のいい者は、私1人だけだったようだ(笑)。これも、正観流人生論で身に付けた大きな功績の1つだろうと、今では勝手な解釈をしている。

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                   大森さんに書いていただいたサイン

                 

                正観さんの講演会に続き、日像さん、そして大森さんの講演の内容は、これまでの私の人生観や霊的な観点に対して、とても大きな衝撃を与えていただいたと同時に、自分としても未知の分野に気がつくことができたということに深く感謝したい。

                 

                これからも、私自身の探求心をより一層深めて、自分磨きに精進していきたいと思った。

                 


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                【講演会2】大森和代さん−WATARASE− part

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                  ◎「あなたを次の次元へと渡らせる」−神の言葉をおろす女性霊能者

                  小林正観さんの福島講演(その内容は【講演会1】に掲載)から約1週間後の平成23年9月17日(土)、スピリチュアルカウンセラーとして名を馳せる大森和代さんの講演会が、同じく福島にて催された。

                   

                  大森さんは、著書『WATARASE(わたらせ)』が大ヒットし、高次元の存在と直接チャネリングをしてそこからおろされた言葉を人々に伝えるため、全国各地で講演活動を行っている方である。

                   

                  その大森さんが、震災で多大なる被害を被った東北の人々のために、神のメッセージを届けるため福島の地で、しかも今回は特別に参加費無料で講演会を実施されることになったのだ。ただ、いつもは数百人が入れる大きな会場をおさえるそうだが、震災の影響もあって会場準備の段取りがなかなか進まず、やっとの思いで取れたのが収容人数100人程度の今回の会場だったという。

                   

                  この講演会開催の案内を見て、迷わずにすぐさま申し込みを完了させたが、かなりの人気があるためチケットが取れない場合もあるという。今回は地元福島での開催ということなので、できることならば参加したいという期待を込めたのが良かったのか、無事チケットが送り届けられた。

                   

                  さて、いよいよ講演会当日、朝起きると私の体調は今までにないほど最悪な状態だった。

                   

                  昨晩は、かつて同僚だった友人と食事をしながらかなり遅くまで語り合っていたため寝不足だったことはあるが、とにかく体が重い。酒は一滴も飲んでいないのに胃痛、胸やけ、吐き気まである。普段ではここまでひどくはならないのにどうしたことだろうか。今日はキャンセルしようかと思ったが、しかしどうしても行きたい気持ちもあり、無理をしたが会場に向かうことにした。

                   

                  朝から降り続く小雨。この体調では車の運転に不安があったので電車で行くことにした。家を出て、歩いて駅へと向かうことわずか5分後、「なぜ今になって突然に?」というほどの急な土砂降りに見舞われる。上半身は傘で何とか雨をしのいだが、下半身は靴にまで水が入るほど膝から下がビショビショになってしまった。どこに行けばこんなズボンが売っているのか?というぐらい、ジーンズの膝から下の色がさらにひときわ目立つ濃いブルーへと変わってしまったのには、少し恥ずかしい思いがこみ上げた。

                   

                  そして駅の通路にあるベンチに腰をおろして靴をぬぎ、早く乾けと言わんばかりにタオルでズボンを何度もふく。ここまでして今日は行くのか?と、再び疑問がわき起こったが、それでもやはり行きたい気持ちがどこかにあるので、引き返すことはしなかった。自宅から駅まではわずか10分程度の距離なのに、まるで長く険しい道のりを突き進むかのようでもあった。

                   

                  定刻通りに電車がホームに到着し、空いている席に何とか座れたことがこの上ない幸せに感じた。電車の揺れが心地よいマッサージともなり、疲労感を和らげてくれた。こうして、重い体を引きずるようにしながらようやく会場に到着したのである。

                   

                  少し早めに受付を済ませて会場に入ったが、それでもかなりの席が埋まっていた。私と同年代と思われる方や、学生、年配者、さらには家族連れなど様々な顔ぶれだった。

                   

                  さて、いよいよ講演開始。まず壇上に現れたのは男性の姿だった。この方は、大森さんと共に講演活動を行っている日像(にちじょう)さんという方だ。

                   

                  話によると、日像さんは今から約700年前の鎌倉時代に、日蓮宗において日蓮上人・日朗上人と並び聖人として祀られている「日像上人」(1269年〜1342年)の生まれ変わりであるという。平成16年に神より啓示を受け、日像会を設立した代表者である。ちなみに、大森さんのことを「日心」(にっしん)と呼んでいた。二人は過去世においても、どこかでつながりのある人物同士だったのかもしれない。

                   

                  次回partでは講演会で起こった不思議な出来事について記載したい。

                   


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                  【講演会1】小林正観さん−説法者の最後の姿−

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                    今から7年前の平成23年9月9日(金)、全国各地で年間300回以上も開催されているという小林正観さんの講演会が、震災後でまだ間もない福島でも開催されるということで、私としては初めてとなるが、その講演会に参加した。

                     

                    受付前に行くと、多数の正観さんグッズが並べられて行列ができており、参加者のおよそ7〜8割方は女性層だった。

                     

                    いよいよ開演時間となり、初の正観さんとご対面である。会場が拍手に包まれて登場した正観さんは、体は細く、杖をついておられ、糖尿病の症状がひどく、両目の視野にもかなり影響が出ているのだという。そのような状態でも講演をキャンセルすることをせず、私たちの前に姿を見せていただいた。ここまでの信念を持って臨まれるその姿からは、人生論者の覚悟ともとれる威厳を感じることができた。

                     

                    ◎正観流人生論から学びを得る
                    私がとても印象に残っているのは、その穏やかな口調である。目の前の参加者1人1人をやさしく諭すかのように、1番後列に座っていた私のところにも一語一語がまるでやわらかな風となって自然と耳に届いて来たことだ。

                     

                    そして参加者全員が、正観流独特の「説法」を聴くその姿からは、人生とは何なのかという答えを少しでも得ようと、学ぶためにここに来た、導かれてここに来たのだと、そんな言葉があてはまるかのようだった。

                     

                    そうかと思いきや、静まり返った空気を一変させるかのように、会場の皆を大笑いさせるギャグを節々に連発する巧みな話術。ユーモアセンスも抜群なのだ。ここまで人を惹きつける魅力があったとは思わなかった。人間として一皮向けた気分にもなれた。そして、人生論者の教えをしっかりと心で実感した特別な1日だった。

                     

                    それから……福島講演の約1ヶ月後の10月12日、正観さんはお亡くなりになられた。62歳だった。

                     

                    最初で最後の出会い、出会うべくして出会えた縁、そして自分の人生の中でも、大きな学びの機会でもあったあの日に、改めて感謝したい。

                     

                     

                    【補足】

                    前回の記事で、現代のシャーマンと呼ばれている「神人」さんの講演会に参加した様子(その記事はこちら)を掲載したのを機に、私が過去に参加したことがある著名人の講演会の様子を『不思議体験記』にも掲載しておりましたので、講演会シリーズとしてそこからの転載記事をアップしていこうと思います。

                     

                    今回は、小林正観さんの講演会を聴講した時の内容です。

                    今から7年前に行われた正観さんの講演会よりも、つい先日行われた神人さんの記事を先にアップしたため、日付的に掲載順が逆になってしまいましたが、やはり年代順として先に聴講した正観さんの講演会を【講演会1】としてタイトル番号を付けることにいたしました。神人さんのタイトル番号は後ほど追記いたします)

                     

                    今思えば、あの日に参加しなければ、今後二度と正観さんとお会いすることはできなかった、という心に残る日となりました。

                     

                    実は、かねてより正観さんが体調を崩されていることは知っていましたが、それでも病院に行かず、治療に専念することもせずに、全国各地で講演会を開催しているという姿を見て、自らの信念を貫くその活動に素晴らしさを感じるものの、しかしそれ以上に体の方が心配であるという思いが私としては強かったと言えます。

                     

                    講演会当日、正観さんがおっしゃっていたのは、全国各地で講演会をするたびに、その関係者の方々からお茶やお菓子、おまんじゅうなどのおもてなしをいただくそうですが、そこで出されたそれらの茶菓子類を残さずに全部召し上がるそうです。今まで、ほとんど残したことはないそうです。

                     

                    えっ、毎回って、年間数百回も行われる講演会のたびに、それを残さずに全部いただく…?それを聞いて、「えー?ほんとですかそれ!」と思ったほど驚きました。おそらく、会場にいた大勢の皆さんも、ある意味で絶句していたのではないかと思います(笑)。

                     

                    その信念の内には、「目の前で起こった出来事を、全てそのまま受け入れる」ということがあるそうです。

                     

                    自分の目の前に、そして自分の身に、様々なことが起こるのならば、それは自分の人生としてそのようになっていることなのだから、その全てを受け入れればいい、ということだそうです。

                     

                    そこから考えると、病気になれば普通は病院で治療することが当たり前なことですが、正観流の概念からすると「病気ということすらも、自分の身に起きていることなので、拒否することも排除することもなく、それをそのまま受け入れればいい」という解釈につながります。

                     

                    「い、いや、正観さん、それとこれとは話が違うのではないでしょうか?

                     ちょっとしたカゼぐらいならば、わざわざ病院へ行かなくとも市販薬を

                     飲んで2〜3日寝てれば治るでしょうが、しかし糖尿病などの重い病

                     は、やっぱり病院での治療が必要だと思いますが…」

                     

                    となりますが、しかし人生論者が達した境地としては、そのような常人が考える思想の域には、もはや足を留めてはいないのでしょう。

                     

                    「もう、そこにはいない」のです。

                     

                    目の前の出来事を受け入れるから、出されたおまんじゅうなども全てありがたく頂戴する。その結果、甘いものを多く摂りすぎたことなどが1つの原因となって糖尿病を引き起こしたとしても、今度はその病気という現実を自分の中に受け入れる。そこに何も悔やむことをせず、その人生を受け入れながら淡々と生きていく…。

                     

                    それを自分が体現することに真の意味があり、そしてそれを世の人々へ示していくことが「本髄」であると言えるのでしょう。

                     

                    その本髄から、多くの方々が生きるヒントを見出されたことと思いますし、たとえどのような教えからでも、それを自分でどう生かすかということもまた、それぞれに応じた活用の仕方であろうと思います。

                     

                    あの講演会から7年という歳月が過ぎましたが、振り返ってみると私自身も正観流人生論の中からたくさんの気づきを得ることができました。本当にありがとうございました。

                     


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                    −現代のシャーマン− 神人さんの講演会と不思議なシンクロ現象

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                      去る9月15日(土)、福島の須賀川市にある須賀川市民温泉にて、現代のシャーマンこと神人(かみひと)さんの講演会が行われました。

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                      今回のテーマは「死」に関する内容でした。私としては初参加となるのですが、これまでにも各テーマにもとづいて、当市民温泉にて何回か講演会を実施しているということを知り、興味がわきましたので申し込みをいたしました。

                       

                      神人さんは青森県出身で、幼少期より特異な霊体験を重ねられ、異次元の存在たちとコンタクトが始まり、そこで経験したことや教わったことなどを軽快な口調で話されます。幼少期からの霊体験…、私と同じですね!

                       

                      講演会の中でよくお話をされていたのが、神人さんの亡くなったお母さまについてのことでした。霊体となったお母さまとの、これまでのコンタクトの様子が、さすが親子と言わんばかりに普段と変わらないような口調で表現をされているやりとりがとてもおもしろかったです。

                       

                      今回の講演会の内容については、主催者の方から「公開表示にして掲載OK」と参加者へ向けて許可がありましたので、一部の内容ではありますが下記に掲載いたします。

                       

                      チベット密教にある「死者の書」によると、初七日から始まって四十九日を迎えるまで、七日ごとに自らの魂が裁判にかけられるという。そして四十九日を過ぎて五十日目に、六道(天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道)のいずれかの世界に転生するとされているが、それは全部ウソ。そんなことはないということをお母さまが言っており、実際にお母さまは四十九日を過ぎても転生していない。

                      (死者の書が出てきましたね。それを書いた以前の記事です→part part

                       

                      早い人では、死んだあと、たった1時間で次の人生へ転生した人がいる。

                       

                      仏壇や位牌は、遺族が故人へと想いを寄せるためのものであって、故人が必要としているものではない。無くても良い。また、回忌法要についても、これらは宗教界の慣習として定着したもので、寺院存続のための経済的特益とも言える1つであり、これをやらないと故人がうかばれない、などということもない。

                       

                      位牌の中に、霊が宿っているわけではない。お墓の中にも、霊がいるわけではない。神棚にも、神様がいるわけではない。

                       

                      お経は一体何のためにあるのか、その意味がわからない。死者がそれを聞いても、何を言っているのか理解ができないとのこと。お母さまは亡くなってから霊体の状態でお経を聞いた時に、かなり気分が悪くなったそうで、その原因は意味のわからないお経とともに、それを唱えている坊主のいろいろな雑念も一緒に伝わってくるためだという。

                       

                      神人さんは(あるいは神人さんの魂は、という表現が適切かもしれませんが)、大きな霊団に属している。いわばそこの広報担当のようなもの。

                       

                      などなど、まだまだ書ききれないことが盛りだくさんの内容でした。

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                      開演が13:00、終演が18:30という長丁場な講演会でしたが、今回の内容を通して新たな観点で「死」についてとらえることができたとともに、私も不思議現象の一探究者として、今後の自らの活動にもはずみをつけていきたいと思っております。

                       

                      ◎【この日に私の身に起きた不思議でおもしろい数字の謎】

                      さて、私自身についてもちょっと変わった出来事がありましたので記載します。

                       

                      事の発端は、講演会の前日の夜にやっていたバラエティ番組なのですが、出演者が収録中にもかかわらず、その時点では一体何を注文したかはわかりませんでしたが、「24本よろしく〜」的な感じで自分のスマホを使って注文をしました。しばらくすると、スタジオ内に瓶ビールが2ケース(24本)届けられ、それをみんなでいきなり飲み始めるという(もちろんネタですよ ちゅん )、収録中なんちゃってタブー的なおもしろいことをやってました。

                       

                      そして翌日の講演会当日、私は車で会場に向かいましたが、そこへ行くまでに不思議な「数字のシンクロ現象」が起きました。

                       

                      それは、何台もすれ違う対向車のナンバーの中で、気になったものが「4060」というナンバーなのですが、これだけを見ると特に何でもない数字です。しかしそのわずか数分後に、また同じく「4060」の車とすれ違いました。

                       

                      私「あ…これは何かあるな。4060か、ええと、これの意味するものは、40と60を

                        たして100か、それともヨロシクの46か、40×60で2400…⁉ あ、24か!」

                       

                      昨日のバラエティ番組で出てきた24という数字に関連するものが導き出され、その意味はなんだろうなと思いながら運転をしていましたら、それからわずか数十秒後に、ど真ん中のストレート級の出来事が起こりました。

                       

                      私「…えっ⁉、 ナンバーが24の車だ!」 

                       

                      ウソのようなホントの話ですが、あろうことか、直後にナンバーが「24」の車とすれ違ったのです。

                       

                      ちょっとちょっと何これ、24って何?今日は15日だよ、どんな関係があるの?と、シンクロした際によくあるお決まりのワクワク感がわき起こってちょっとテンションがあがりました 矢印

                       

                      さらに、10分もたたないうちに今度は「4070」、次に「4050」のナンバーと立て続けにすれ違いました。一見するとなんだかどれも中途半端な数字ではありますが、並び替えてみると405040604070と、番号順にそろいました(笑)。

                       

                      結局のところ、これらの車のナンバーが意味するものは何だったのかはわかりませんでしたが、毎度毎度こんな感じでおもしろいほどの数字の連鎖が見られます。これらの意味を見つけ出そうといつも試みるんですが、わからない場合がほとんどです…。だれでもいいから直接教えてほしい〜と、いつももどかしい思いでいっぱいです。

                       

                      ◎【これだけでは終わらなかったシンクロ現象 − 神人さんと同じことが起こる】

                      神人さんがこのようにもおっしゃっていたのですが、異次元の存在たちとコンタクトを取り始めた際、その存在たちが神人さんに、本当に我々がこの世界にいることを信じてもらうために、その存在たちからある現象を見させられている、というのです。

                       

                      それは何かと言いますと、「数字の1111や11時11分、または11・11や、1・111など、1111に関する数字はもう何年も毎日のように見続けている(そうさせられている)」ということだそうで、「ここまでくると、これはもう偶然とか不思議だなということを通り越して、この事実を信じるほかない」ともおっしゃっていました。

                       

                      そんなお話を裏付けるかのように、この後、また驚くようなことが起こったのです。

                       

                      それは講演会の帰りのことなんですが、長丁場の講演会だったためさすがにお腹が空いたので、市内にある某大手ラーメンチェーン店に寄ったんです。そして食べ終わって会計をする際に、「ここでもか!」と叫びたくなるほどの不思議なシンクロ現象がまたまた発生したのです!

                       

                      下の写真の赤枠をご覧ください(食べたものはナイショです てへ )。

                      レシート2.jpg

                       

                      ほら出た、出ましたよ、やっぱりそういうことなんですね!神人さん、私も1111が来ちゃいましたよーー驚く

                       

                      もちろんのこと、この金額になることは全く狙っていません。その時に食べたいものを普通に注文しただけなんですが、しかし何と言いますか、こういった「共通性を含んだ予想もしない偶然(見方を変えれば必然)の一致」とでも言える現象って、何度経験してもおもしろいものがありますね。

                       

                      もしかしたら、神人さんについておられる見えない存在たちが、このような形で私にもその存在や世界観をお示しになられたのかもしれませんね。

                       

                      まるでウソのような、けれど全てホントの話がてんこもりな1日を送れてとても楽しかったです テゴシマーク

                       


                      記事をお読みいただきありがとうございます

                                       

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