ニオイの共感覚で感じ取った高次元なるものpart

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    ※前回のあらすじ

    稲荷社の、何もないある特定の空間から「そこにいる」という何らかの存在を感じ取った私。その後の参拝では、投入の難しい賽銭箱へ見事にお賽銭を投じるのに成功し、早く新しい鳥居が完成しますようにと祈願をして神社を後にしたのだった。ニオイの共感覚を通じて、今回の出来事がのちの私に大きな影響を与えることとなったのである。

     

    自分の視野を広め、そして深めるきっかけとなる

    この神社の参拝で、目には見えない存在を肌で(いや、ニオイで)感じとったという体験が一つのきっかけとなり、それからよく「神と眷属の関係性」「人間から神になったご祭神」について考えを持つようになった。


    さらにこの考えを深める要素として、私はこれまでに精神世界系と類別されている、一種の特異的分野に属するとも言える著作物を多く読過してきたことにより、著者が独自に持つ哲学的および思想的訴要点の的確性は別にして、この分野の思想や概念、それに世界観について、自分の見識を広めるのに大いに役立ってきたと思っている。

     

    その中でも、とある女性コンタクティの方が執筆した本を数年前から書見しているが、その本の内容が斬新で、これまでの神仏信仰に対する人々の既成概念とはまた違った視点で表現されており、さらには実際に自分の実体験をもとにして考察・検証をされていることもまた、非常に共感が持てた点でもある。


    そんな折、私にとっては素朴な疑問が浮かんできた。

     

    私「神様の修行って、どんなことをするんだろう……」

     

    精神世界の構造概念上では、人間の死後、魂はいくつかの段階を経てから中間世と呼ばれる世界に行き、そこで高位の立場にある指導役と共に、次の人生をどのように送るかを計画するとされている。


    女性コンタクティの方によると、この計画をする際に、これまで通り再び人間として地上に生まれて必要な人生経験を積む道もあれば、魂の学びの段階に応じてではあるが、人間としての転生に幕を下ろし、代わりに神仏のもとに眷属となって修行に入る選択肢もあるという。そして、晴れて神の神格に到達して祀られるケースもあるのだという。

     

    この神仏の眷属修行について、私が普段からよく実践している内観で心に問うてみたところ、次のような言葉が心の中に浮かび上がってきた。

     

    心の声「その選択肢もある」

     

    やっぱりあるの?本当にそういう選択肢が…?


    どうやら神仏の眷属になるためには、死後に魂となった時点で、すでにご縁をいただいていた神仏から「君、ちょっと修行をやってみないか?」と、もちろん全ての魂ではないがスカウトをされる場合もあれば、自分からその神仏に仕えることを志願する場合とがあるという。

     

    心の声「ならば、神を見つける旅に出よ」

     

    旅に出ろと…!?

     

    私の人生行路は、むしろこれからが本番なのだということを噛みしめた出来事であった。

     


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